個別記事閲覧 Re: 『38℃の情熱で。Remake』感想スレッド 名前:はっち日時: 2012/12/08 22:06 修正1回 No. 86
      
以下、持論であることを強調させてください。押し付けるつもりはありません。

つまるところ娯楽小説って面白ければいいんだと思うんです。料理に似てます、あれは美味しければいいじゃないですか。テーマだの、表現技法だの、前振り・伏線・回収だのは目標を実現するための材料みたいなもので、料理で言うなら調味料みたいなもの。柚子こしょうを使うから偉いわけでも、野菜のシャキシャキ感を残すからすごいわけでもない。全部おいしさにつながるから評価されるわけです。

料理がおいしさを二の次にしたら、それはもう栄養補給でしかありません。同じように、小説がおもしろさを二の次にしたら、それはもう書き手の妄想顕示にすぎません。
一人の人間が考えた作り話で他人に「面白い」と言わせるためには、あなたが感心している何かを、あるいはこんなのおかしいと思っている何かを、彼らに届く形に変換して訴えることが基本的な手法なのだと思います。誰もが日常のコミュニケーションでやっていることです。それを僕はテーマと呼んでいるにすぎません。
テーマをもっていないなんて僕は信じません。きっとあなたがおっしゃるようにそれは明確になっていないだけです。そうでなければ、あなたの作品の参照数と、感想に書かれたたくさんの「おもしろい」「期待してます」の言葉の説明が付きません。

>>自分はまだ小説について書ける年端にいってないなと痛感しています。まだ人生の経験が圧倒的に不足している
それこそ「青い」発想だと思います。心臓が刻んだ脈の数で人間の深みが増すなんて、とんだ楽観論ではないでしょうか。経験は蓄積する、年をとるごとに人としての深みを増していく、なんて年増への慰みでしかありません。重要なのは経験ではなく、行動です。
あなたが今何を感じて、どのような行動を起こして、何を残すのか。それらが連鎖してナナシさんを構成しています。経験は今を決めるために参考になるだけです。
忘れることも、なくしてしまうこともたくさんあります。同じくらい深いところに残っていくものもあるでしょう。ほとんど±0なんじゃないでしょうか。
重要なのは今のナナシさんに何が見えるのかだと思います。それを誰かに伝えようとすることが小説にほかなりません。今のあなただから見えるものを大切にしてほしいと思います。

長文失礼いたしました。