個別記事閲覧 6-1 名前:vellfire日時: 2012/11/18 22:40 修正1回 No. 24
      

 これはきっと夢だと思った。そうじゃないなら幻だと。
 目と鼻の先、こんな近くに緑川先輩がいるなんて、そうに決まってる。 
「キャプテン、お疲れ様です」
 香奈ちゃんが緑川先輩のほうにかけていった。
 こっそり頬をつねってみると、しっかり痛い。――夢じゃない!
 
 緑川先輩は、駅に隣接したファストフード店から出てきたところみたいだった。
 きっちりと刈り上げられた坊主頭に、ちょっと濃いめの眉がりりしい。
 日焼けしたその肌にタートルネックのアンダーシャツをまとい、何でも包んでしまいそうな大きな体とその腕。
 辺りはもうすっかり暗い。
 お店の周りは明るいんだけど、緑川先輩自身が、キラキラ輝いて見えた。
 
  ああ、このまま先輩の目の前に飛び出して、お疲れ様です、と声をかけたら。
  きっと君誰、と言われちゃうから、横井雫ですはじめまして、と元気にはきはき言って。
  これはぶりっ子だと思われてもいいから、いやそれはダメだけども、でもニッコリ笑って。
  私と先輩の身長差は30センチくらいはあるだろうからきっと上目遣いになるしいいアピールになっちゃったりして。
  先輩は私に突然可愛いねと言ってくれて、手を差し出してくれちゃったり私も自然と繋いで。
  それからそれから。

 なんて、想像が一気に駆け巡った。ヤバイ。私、テンパってる。
 頭も足も宙に浮いたようにふわふわしてる。そんな私を香奈ちゃんが現実に戻してくれた。
「雫! 何してるの、こっちおいでよ!」
 私は、緑川先輩を見ないようにしながら、香奈ちゃんのそばに駆け寄った。
「自主練あがりですよね?」
「そう。んで、小腹がすいたからちょっと軽く」
 香奈ちゃんの問いに、少しハスキーな声で緑川先輩が答えた。
 やばい声までかっこいい。
「あそこのハンバーガーショップのコロッケバーガーおいしいですよね。でもいいんですかー、そんなの食べて」
「いいよ、その分動くから。帰って素振りでもするさ。と言うかマネージャーまで和也(かずや)みたいなこと言うなよ」
 香奈ちゃんと緑川先輩が話してる。私も話したい。
 でも、無理。無理だ。でも何か言わなきゃ。何か言わないと、緑川先輩が帰ってしまう。
「あ、そう言えば黒川(くろかわ)先輩は一緒じゃないんですか?」
 香奈ちゃんがまた緑川先輩に聞いた。
「あいつは先に帰ったよ」
 

個別記事閲覧 6-2 名前:vellfire日時: 2012/11/18 23:26 No. 25
      


 緑川先輩は腕を組みながら困ったもんだ、となげいた。
「家に帰って秘密特訓とか?」
 香奈ちゃんは、これは違うか、と一人納得しだした。
「ないだろうな。キャッチの俺なしで特訓はない。エースなんだからちゃんとして欲しいのに」
「でも今日は練習自体は早く終わる日ですしこの時間までやってたのなら問題ないでしょう?」
「まあな。だけど最近あいつ付き合い悪いんだよなあ。上田はこんな時間まで何やってたの?」
「遊んでました!」
 香奈ちゃんが答えると、緑川先輩は、やれやれというように首を振った。
「複数人だからって、女だけでこんな時間までってのは感心しないな。あ、そっちの子は大丈夫なの?」
 香奈ちゃんは大丈夫ですと答えながら、ね、と私に同意を求めてきた。
 でも私は、体が固まってしまっていて何も言えない。
「そういう意味じゃなくて、話についてこれてないんじゃないかってこと。さっきから気になってたんだけど」
 緑川先輩がそう言ったから、香奈ちゃんは私の顔をのぞき込んできた。
「なんでもないけど、野球部の話はよく分からないから」
 答えた私の声はどんなだっただろう。震えてたかも。
「内輪の話でごめんなー。えーと」
「横井しじゅくです」
 かんだー!
 香奈ちゃんが、声をあげて笑った。緑川先輩も釣られるように、くすくすと笑う。
「おもしろい子だなー」
 うう、恥ずかしい。でも、緑川先輩の笑顔が見れた。そう喜んでいたときだ。
 急に頭が大きな何かで覆われた。驚いて視線をあげると、緑川先輩の腕が私の頭に伸びてる。
 鼻も頬も耳も顔どころか体中が熱くなった。周りから見たら、ゆでたこみたいになってるんじゃないだろうか。
「あ、あの」
 そう言いかけると、急に頭を覆っていた感覚が消え去った。
「はい女の子の頭を気安く触らない! セクハラですから!」
 香奈ちゃんが怒り出した。
「そうか? ちっちゃいな、って思って。つい」
「つい、なんて考えだからダメなんです! 勘違いする子もいるんですから! 何の気もないのに、この前もあったでしょう!」
 香奈ちゃんがどこかの先生に見えてきた。
「悪い悪い。と、じゃあ俺帰るわ。お前らも気をつけろよ」
「まったくもう。お疲れ様でした」
 香奈ちゃんはあきれたように緑川先輩を見送った。
「あの、香奈ちゃん。私も、勘違いした子――かも」

個別記事閲覧 6-3 名前:vellfire日時: 2012/11/22 22:44 No. 26
      


「まじで?」
 香奈ちゃんは、驚きながら言った。
 こくりとうなづくと、もう一度「まじで?」と確かめてきた。
「――まじ、です」
 だって、朝練の時間にまで合わせて見ている憧れの先輩だよ?
 そんな人に頭をなでられるなんて、夢のようだ。
「そっか。そっかあ」
 香奈ちゃんはそう言って、ケラケラ笑った。
「どうしてちょっと嬉しそうなの?」
「雫がそうだなんて聞いてね。雫って、すごく奥手そうだし、聞き専だったから」
 確かに、香奈ちゃんとは一年生からの付き合いだけれど、そういう話はしたことはなかったな、と思った。
「でも、よりによって緑川先輩かあ。さっき言ってたことだけど、ちょっと鈍感なのよね」
「それは大丈夫。憧れてるだけだから」
 香奈ちゃんだったら、「恋は動かなきゃ!」と言いそうだったけれど、『そっか』とだけ言った。
 私と緑川先輩は天と地ほども離れていて、言っても仕方のないことなのは、明白だろうと思う。
 香奈ちゃんに分からないはずがない。
「じゃあ、止めないほうが良かったね。憧れの緑川先輩と触れ合えて。もうこのままどこかへ連れてってーみたいな?」
「香奈ちゃん」
 なんともなく、二人でケラケラと笑いあった。
 
「横井さん!」
 突然呼ばれて、香奈ちゃんともども振りかえった。
 永井先輩だ。
「あなた、何してるの」
 目が合った瞬間に、永井先輩は言った。その目は、笑っていない。
 返事に困っていると、香奈ちゃんが横から一歩前に出た。
「遊んでましたけど、何か?」
 口調がとげとげしいのは、香奈ちゃんも永井先輩の雰囲気を察したのだろうと思った。
 永井先輩は、きっと怒ってる。
「あなたは?」
「雫の友達の上田香奈です」
 永井先輩は香奈ちゃんを上から下まで見渡した。
 ジャージにウインドブレーカー姿の香奈ちゃんを見て、何を思ったのだろうか。
 永井先輩はため息をつくと、香奈ちゃんから視線を外して、私を見た。ぐさりと刺さるようで、痛い。
「私は、帰りなさい、とは言ったけど、遊びなさいとは言ってないわよね?」
 はい、と私が答えると、香奈ちゃんが割って入った。
「ちょっと何なんですか。雫の親か何かなんですか」
「悪いけど、あなたはちょっと黙っててもらえる?」
 急に、世界の空気の成分が、変わってしまったように感じた。

個別記事閲覧 6-4 名前:vellfire日時: 2012/11/26 23:07 修正1回 No. 27
      
「横井さんは今がどういう時期か分かってるの?」
「――はい」
 絵画コンクールに向けて、絵を描く上での最初のターニングポイントだ。
 ここをきっちり越えられるかどうかが作品の肝になる。
 答えは、分かってしまっていた。だからこそ、何も答えることが出来ない。
「今度は受験生の担任ですか。残念ながらまだ2年生なんですけど?」
 また、香奈ちゃんが言った。どんどん言葉がきつくなってる。
「あなたは黙ってなさい!」
 普段の永井先輩からは想像もつかないような声だ。あの香奈ちゃんが黙り込んでしまった。
「どうなの?」
 永井先輩の目は私をまっすぐとらえて離さない。
「すみません」
 目をそらして答えた。よれよれになった黒い靴がそこにある。私は、この靴と同じで惨めだ。
「もう一度言うわね。謝って欲しいわけじゃないわ」
 また言ってしまいそうになるのを必死になってこらえる。
「横井さん、あなたはこれでいいと思ってるの? どうしようか考えてるの?」
 美術部はやめたい。でも、やめたくない。
 絵は描きたい。でも描けない。
「答えられないのね」
 永井先輩は大きなため息をつくと、肩にかけた鞄に手をやった。ファスナーをあけて何かを取り出した。
 二つ折りの紙だ。
「私はもっとあなたに頑張って欲しかったけれど、仕方ないわね」
 よく考えなさい、と私に差し出した。
 ――紙には『退部届け』の文字が書かれている。
 香奈ちゃんがのぞき込んできて、声にならない声をあげるように息を吸ってから、永井先輩に向かった。
「ちょっとこれ、どういうことですか! 雫がなんでやめなきゃならないんですか! 雫はすっごい絵がうまいんだから!」
 香奈ちゃんがどなった。
 仕事帰りのサラリーマンがちらほらこちらに視線を寄せているのを感じる。
「絵がうまいことと作品の良し悪しは関係ないのよ。完成に至るまでに、何を思い、何を感じ、何を残そうとしたか、なのよ。
 美術館で『変な絵!」って言いだしそうなあなたみたいな子には分からないでしょうね」
「そんなものが分かって何の意味があるんですか!」
 私は食い下がる香奈ちゃんの腕を引いた。
「香奈ちゃん、もういいの。ありがとう」
 雫! と言った香奈ちゃんを抑えるようにして、私は永井先輩に頭を下げた。
「ごめんね」
 私は、その場から逃げた。前が見えないのは涙のせいだ。