個別記事閲覧 1−1 名前:はっち日時: 2012/12/05 06:37 修正8回 No. 1
      
1−1

投手の手を離れた白球がミットに収まり、それと同時に乾いた破裂音がブルペンに響いた。普段このブルペンからは聞かれない、速球投手のそれだった。
「成田、オーバースローじゃないですか」
「いやちがくて。あの投手、4分の3が日本人以外の血なんだって」
笑みを浮かべて前島大樹はそう答えた。
「ああ。それであんななんすか」
世界史の加藤曰く、確か外国では混血の人をミックスと呼ぶらしい。授業序盤の雑談ならまだ起きて聞いている。だからそのことはよく覚えていた。
「でもそれってスリークォーターって言うんですかね」
「知らない。自己紹介のとき矢部が言ってたから。『前さん!あれが噂のスリークォーターでやんす!』って」
一番うさんくさい情報源じゃないか。
「けっこう線細いもんな。球速出てるのはそういうことかねえ」
横にいた後藤勇は楽しそうにそう言った。
「なにが」
「外人は筋肉の質だか量だかが違うってよく言うじゃんか」
なんだよ、それ。スタートから違うのかよ。
「てか捕ってる方も上手い。低めのさばきがやばい」
そう言われて捕手に目をやる。
「今捕ってるキャッチはシニアで成田と組んでたんだと」
だからなにそれ。そういうのって普通なの?
「まじすか。じゃあ、あの捕手も硬球経験者じゃないですか」
要するにいま投げてるあいつはわざわざシニアの壁引っ張って、この高校に来たわけだ。
「後藤〜。140のワンバン捕れなきゃスタメン落ちんぞ〜」
「前さん、さすがに140は出てないでしょうよ」
「いや、すぐだね。秋にはもう140出てるよあいつは」
「それはありえる。やべえかも。やだな〜。あのキャッチ打つのかなぁ」
「成田と組ませてもらえなきゃスタメン落ちだな。そしたら夏は俺らと一緒にベンチで声出しだな」
「マジかよ。てか、前さん1年坊に負ける気まんまんなんすか」
前島は笑顔のまま、小さくため息をついた。

個別記事閲覧 1−1 名前:はっち日時: 2012/12/05 06:39 修正6回 No. 2
      
思わず前島から目をそらしてしまった。前島の言葉から逃げるように目のやり場を探す。嫌でも目に付くそこには、映画の子役みたいな顔した奴がマウンドに立っていた。
捕手から球を受け取ってワインドアップ。
「シニアで全国出てて」
テイクバック。軸はまるで崩れない。
「135キロの左投げで」
スムーズな体重移動を伝って、全身のエネルギーが指先に集中する。
「おまけにあのルックスじゃあな。完敗だろ」
解放された速球はブルペンに快音を響かせ、前島の言葉以上に俺の指先から温度を奪っていく。

いや待てって。そうじゃねぇだろ。それはねぇだろ。

「前さん、『俺らとベンチ』ってなんすか」
前島の笑顔は諦観だ。いつもの人懐っこそうな笑顔でも、目は笑っていない。
「そうですよ。亮輔は顔は中の上ですもん。前さんと一緒にされちゃあ有紀ちゃんも黙ってない」
後藤も笑みを崩さない。こいつはチームの現正捕手として反応が難しい立場にいることを悟っている。
「そうじゃねぇよ。前さん、まだ負けてないし、なにも決まってないです」
「うわ、亮輔がなんか始まっちゃった。俺ベンチどころか観客席で団長かもしれない」
監督が投手に歩み寄って何かを指示すると、成田は笑顔で頷いた。変化球の指示だった。
「冬場、馬みたいに走ったじゃないですか。うちらだって球威上がってますって」
少し間があった。そうだな、負けらんねぇよな。前島は笑顔のままそう言った。緩急を付けたピッチングが持ち味の現エースは、年の差一つとは思えないような、そんな瞬間を見せる時がある。ただ、前島がどんな気持ちでそう言ったのか。結局、俺は汲み取れなかった。

成田ルイ。春から入ったこの新入りは、オリエンテーションの紅白戦で完封し、翌日にはブルペンで投球練習を始めた。
1年の時、俺がブルペンでの投球練習を始められたのは、3年が抜けた秋からだった。

個別記事閲覧 1−2 名前:はっち日時: 2012/12/05 09:28 修正8回 No. 3
      
1−2

これで四つ目。下位打者相手に2−0(2ストライク、ノーボール)から四球なんて何やってんの。
思わずスコアを書く手に力が入り、シャーペンの芯が音もなく折れた。
後藤君が言ってた通りだ。亮輔のやつ、目に見えて力んでる。
力みの原因は明らかだ。5回を投げてマウンドを降りた先発投手の影響を受けている。
練習試合だからってそんな投球してたら背番号もらえないよ。

新学期が始まって1ヵ月。ここまで成田ルイについてわかったことは4つある。
第一に、シニア時代の知名度は全国クラスだったということ。
ボーイズ出身であるうちの弟は、同学年の同じ地区の高校に成田ルイがいると知って大興奮していた。
成田はシニアでは関東のチームだったそうだ。弟はなぜ東北の新設校なんかに成田ルイが来るのかと訝しんでいた。
厳密に言うと我が校は新設ではないが、できてからまだ6年しか経っていない比較的新しい私立高校なのだ。
そのことと関連して、我が校への進学にあたって監督との間で密約が交わされた可能性が噂されている。
今春から投手の起用基準で導入された「一日100球の球数制限」は、成田側からの入学の条件だったというのだ。
表向きは、投手の数が揃ってきた今だから導入できる「投手のケガ防止対策」なのであるが、部内では懐疑論が多数を占めている。
なんでも彼の父親が大学の先生で、今は東京でスポーツトレーナーを教育しているらしいのだが、
うちの監督の先輩である元プロ野球選手の黒澤さんと知り合いらしい。
そこで黒澤さんを通じて監督が条件付きで入学を打診した。あるいは成田サイドが条件に合った高校を探しているところに黒澤さんから紹介があった。
今のところ、そんな風に部内ではささやかれている。改めて考えると論理性を著しく欠いているが。
また、監督の後輩である井田さんというトレーナーが、練習後にかなりの頻度で来てくれるようになったことも懐疑論に輪をかけている。

個別記事閲覧 1−2 名前:はっち日時: 2012/12/05 09:30 修正4回 No. 4
      
第三に、成田がかなりの「イイやつ」であるということ。
某野球ゲームの天才左腕のように高慢ちきでもなければ、金髪グラサンのように気取り屋でもない。
ちなみに、今試合に出ている二塁の矢部はこのゲームにおける同姓キャラクターをしばしば演じ、部員からはそこそこウケている。
あんな矢部君でも実際いたら結構慣れちゃうのかもしれないな。
おそらく成田は、野球部にいるふつうの1年としてふるまっているのだろうが、異端なルックスと実力が謙虚さを際立たせるのだろう。
そのことが部内に生じた歪みや僻みの多くを自然と矯正したように思える。テレビでやってた「ハロー効果」とかいうやつかもしれない。
とくに、亮輔曰く、私を含めてマネージャー陣の成田に対する「メス反応」は露骨らしい。もちろんそんなつもりは毛頭ない。
第四に、2年生投手の斉藤亮輔と1年生投手の秋田健太からは避けられているということ。投手陣の空気がよくないらしい。
少なくとも亮輔は明らかに成田に敵対心をもっており、先輩の前島や2年生の太田和喜がうまくバランスを取ってくれている。

下位の1年生打者相手にまたもやフルカウントまでもつれると、神谷有紀は小さく舌打ちをした。
またそんなに上半身つっこんじゃって。球速で勝負するタイプじゃないでしょうに。
マウンドに立つ亮輔の顔にも明らかな苛立ちが現れている。
「あらら、亮輔のやつ、もしかして今日はだめかね」
先発した成田と同じく5回で捕手をかわった後藤勇がへらへらと笑いながらそう言った。
「あいつ、なんであんなに力むのよ」
「先発投手が三振取りまくってましたから」
「自分のことわかってない」
「有紀大先生、ごもっともなご意見ですな。だけどね、勝手に自分の実力見切られるのも面白くないでしょう」
「何それ。このままじゃ、ベンチに入ったって使ってもらえないじゃない」
「はっ、それは前さんも同じだよ。あの人エース争いは負けましたって顔して、最近練習でも試合でも全然身入ってないもん。前さんはもう伸びない。あれじゃ大事な場面では絶対に任せられない」

個別記事閲覧 1−2 名前:はっち日時: 2012/12/05 09:33 修正6回 No. 5
      
「前島さんは・・・、いろいろ大変な状況でよくやってると思うけど」
「自分が傷つかないように、だろ。確かによくやってるよ。少しずつ自分が2年かけて目指してきたエースナンバーから距離をとって守りを固めてやがる。近頃は目に見えて『後輩や周りのことに目が届くいい先輩』を演じてやがる。それが前さんの最終目標になっちまってる」
「だけど投手陣のバランス取ってくれてるのは・・・」
「俺だって、もちろん人として前さんことは好きだよ。ただ投手として好きじゃない。あの人はもう終わってるよ」

金属音と共に青空へ打ちあがった白球は、手を挙げた矢部のミットに収まった。
「おっ、なんだかんだで亮輔はちゃんと抑えたか」
守りを終えベンチに帰ってくる亮輔の顔は晴れない。
「亮輔はさぁ、今は苦しくて、格好悪くていいんだよ。それは亮輔のためだけじゃなくてね。あいつが戦い続けることが、健太と和喜とルイのためになるんだ。例えば、健太はルイと3年間一緒なんだぜ?健太は何を目指せばいい?誰の背中を見ればいい?健太がもし次のステージに行きたいなら、高校3年間は絶対に無駄にできない。すぐ隣に、自分に越えられるイメージが持てないような存在がいるとき、健太は高校3年間をどう過ごすのか。それに一つの回答を示してやれるのは亮輔なんだよ」
「なんで亮輔なのよ」
「あいつの負けず嫌いが投手に向いてる。前さんじゃないけど、人の顔色伺って走り回る以外にも、ルイみたいな奴が来ちまった投手陣をまとめるやり方はあるだろうよ。きっと前さんや和喜には、投手陣全体の実力を底上げするようなリアクションはできないんだ。亮輔にしかできないやり方が『投手』って人種には一番合ってるんだ。
うちの投手全体のためにね、今のあいつは苦しまなきゃならない。もちろんあいつの野球人生のためにもだ」
考えたこともない話だった。
成田ルイが来て、うちは変わった。もちろん、新学期の変化との重複もあるだろう。それでも成田が変えたもの、壊したものはたくさんある。
後藤君ってほんと―
「捕手に向いてるよね」
「ん?なぜに?」
「性格悪いもの。優しさが歪んでる」
「彼女ができないのもそのせいでしょうか」
ベンチにうなだれて座る亮輔の後ろ姿が、少しだけ格好よく見える。

負けんな。あきらめんな。

個別記事閲覧 1−3 名前:はっち日時: 2012/12/05 17:32 修正3回 No. 6
      
1−3

「どうしてもお前の肩はだめなのか」
部屋に入ってくるなり早々に出鼻を突いてみる。
「夏までに、というのはかなり難しいそうです」
鈴木浩二に落胆の様子はなく、淡々と答えた。
もうとっくに踏ん切りはついている。一人掛け用のソファに腰かけた俺を見下ろす主将はそんな顔に見えた。
もうちょっとガキらしくなれないかね。
「それで、進路は?」
「井田さんに話を聞きました」
「やっぱりトレーナーか」
五味雅和は、監督室に漂うタバコのにおいにつられて、不意に机の引き出しをあけそうになった自分に苦笑した。
「どうしてもなりたいならぜひ成田先生のところに、と言われました」
「あいつの恩人だとか言ってたからな。まあわかった。俺から先生に連絡してみるよ」
「よろしくお願いします」
「・・・納得したわけじゃねぇよ」
俺がここの監督を任されて以来、浩二は初めてのちょっとした逸材だった。
スポーツ推薦がある新設の私立高校。コネをつたって、俺はここの教職についた。
なかなか充実したトレーニング設備もあり、6年前は不安より期待でいっぱいだった。
一度きっかけさえつかめば、入ってくる部員のレベルは上がる。そうなれば俺の指導で甲子園に行ってみせる。
大学3年でレギュラーを諦めて以来、俺のライフコースは高校野球の監督一筋だった。
この高校に採用されてからは、先輩の下でコーチをしていた時には試せなかった指導法を思い描いてはにやつく日々だった。
体力で及ばなかった。でも俺は『野球を知ってる』。きっと俺のステージは選手じゃない。
だが、いざ監督になってみると高校野球は甘くない。
いくら練習をしても、試合で打てない。守れない。
厳しくすれば練習はこなせない。「勝ちたいだけでは勝てない」日々が続いた。
そんななか、やっとまとまった試合ができるようになったのは浩二が入ってきた2年前からだ。

個別記事閲覧 1−3 名前:はっち日時: 2012/12/05 17:35 No. 7
      
「それで?状況はどうだ?」
「全体的に良いと思います」
「何がどう『良い』んだよ」
「やっぱり1年が入ってきて活気がありますし、とくに2年が1年をフォローしてます。
更衣室での雰囲気もここ2年で一番いいんじゃないですかね」
「ピッチャー陣はどうだ?」
「孝と和喜がうまくやってます」
返答がやけに早いな。聞かれる前から既に考えてあった答えか?
「ルイは?うまくやれてるか?」
「えっと、はい」
思わず笑みがこぼれた。素直過ぎるんだよ、お前は。
「なんだよ」
「いえ、問題ありません」
「ふん、亮輔だろう。あいつは生意気だからな〜」
浩二の口元が微かに引き締まった。
「前島がちゃんと気つかってますから」
浩二が肩を痛めたのは去年の新人戦だった。中学時代に痛めた箇所が爆弾になっていたらしい。
痛みが出始めていることに気づかなかった俺は、緩慢なプレーで盗塁を許した浩二を下げて、ポジションを争う勇を試合に出した。
ベンチで浩二を厳しく叱った。浩二がホームベースでうずくまったのはその次の試合だった。

個別記事閲覧 1−3 名前:はっち日時: 2012/12/05 17:37 修正2回 No. 8
      
「キャッチングなら優なんだが、勇は肩がある。バッティングも力で勇の方が上だな」
「成田は捕れるなら誰でも構わないって感じですかね。シニアでやってた穂積ともべったりってわけじゃないですし」
「捕手には頼らねぇって王様タイプか。日頃は猫かぶってばっかだが、マウンドじゃあれだからな」
うちの投手はみんなおとなしすぎる。その分お前は楽してんだぞ。
それは何度も浩二に浴びせた言葉だった。
「成田は気にしないとしても、ああいうエリートタイプは捕手を選びますか?」
「ん〜・・・真面目過ぎるお前とは合わないかもしれない」
「後藤とは合いそうですよね」
窓から見える、まだかすかに橙色に染まったグラウンドに目をやりながら、浩二は小さくそう言った。
浩二はなぜか勇を嫌っている。いや、勇が浩二を避けているのかもしれない。
かつてその点に気づき、浩二を煽るのに適材だと睨んだ俺は執拗に勇と浩二を対比させた。
勇を過大に評価することで、主将に火をつけようとした。
「なによりも今勝つために必要な手が打てる、それが勇の強みなんだよ」
それもまた何度も何度も浩二に聞かせた言葉だった。浩二にはない勇の狡猾さや勝利への執着を盗んでほしかった。
そうして俺は浩二を追い詰めていった。いつしか勇の影が、こいつから試合を辞退する選択肢をかすめとってしまったのだろう。
肩を痛め、試合には出れなくとも、浩二は基礎的な練習を続けた。参加できない練習では自らマネージャーの仕事を買って出た。
だが、一向に投げられるようになる気配はなかった。
いつからということもなく、部内での浩二の立場は限りなくマネージャーに近づいていった。
勇に実力が付くにつれて、正捕手の椅子から競争は失われていった。それは残酷なまでに自然な流れだった。
それでも浩二はチームの主将だった。誰よりも声を出し、誰よりも本気で走った。
そんな浩二に「主将としての視点」をもつように働きかけたのは俺だった。
一歩離れたところからチームを見てみろ。そこから見える、お前だから見えるものを大切にしろ。
そしてそれを俺に伝えろ。このチームを強くするために使ってやるからよ。
今日のようなミーティングは、こうして始まったのだった。

個別記事閲覧 1−3 名前:はっち日時: 2012/12/05 17:39 修正2回 No. 9
      
「下がっていいぞ」
成田ルイは、もちろん鈴木浩二とはまるで比べ物にならない程の素材だ。
現時点での基礎的資質、投手としての技術、負けん気、実戦での適応能力。
どれを見ても申し分ない。こんな逸材、二度と手元に置けるかわからない。
「ちょっと待て、浩二」
俺が壊した浅黒い顔がこちらを向いた。
今回は失敗するわけにはいかない。ルイがいるうちに何としても甲子園の土を踏まなくてはならない。
だから万が一でも、成田ルイを潰すわけにはいかないのだ。いや、潰れるのはルイであってはならないのだ。


「ダウンが終わったら、ここに勇を呼んでくれ」
窓から見える空に橙色は残っていなかった。