3-1 名前:vellfire日時: 2012/10/04 22:59 修正3回 No. 11 |
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先生が授業で問題を出したとき、当てないでってときにかぎって指名されてしまう。 そろそろ宿題を忘れてしまうかも、って思ったら本当に忘れてしまう。 悪い予想ばっかり当たってしまうように感じるのが、現実ってものなんだろうか。 そんなの信じたくない。 放課後のことだ。 やっちゃった! と思った瞬間にはもう遅くて、案の定、美術室の扉が開いてしまった。 「入部してから1年間見てきたけれど、あなたはそそっかしいじゃ済まないわね。 気をつけなさい、っていつも言ってるでしょう」 開いた扉の先から現れたのは永井先輩だった。美術部の部長だ。 この惨劇を見た瞬間に、お約束と言わんばかりに、私をたしなめた。 情けない気持ちで、私は胸が一杯になってしまった。 美術室の中、永井先輩と私の立つ間の床には、パレットとか油絵に使う道具が散らばっていた。 「さあ、ぼうっとしてないで、片付けなさい」 永井先輩は私にそう言うと、私を通り過ぎて、においがこもるから、と言って、窓を開けた。 充満しかけていた油のにおいを潮風がすっと包み込んでいった。 私は、と言えば、永井先輩の一挙手一投足をただ見つめているのだった。 永井清美(ながいきよみ)先輩は、とても美人だ。 クールビューティー。 ショートの黒髪は窓からの光をあびて、先輩の顔をきゅっと映えさせている。 背も高くて、切れ長の眼が、とても知的に見える。 風に吹かれてなびく黒髪を見ていたら、シャンプーのコマーシャルに出ていそうだな、って思った。 永井先輩みたいになりたくて、憧れる。 残念なことに、私は歳月が見事なドジっ娘に育ててくれたらしい。 でも、はっきり言って自覚はない。
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3-2 名前:vellfire日時: 2012/10/08 00:15 修正3回 No. 12 |
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「そう言えば、構想は進んでるの?」 永井先輩は窓からこちらに向きなおして言った。 その問いかけに、私は肩をびくつかせた。背中が冷たい。嫌な汗が吹き出た気がする。 痛いところを突かれた、と思った。 私は、正確には美術部員の面々は、夏に開かれる絵画コンクールの作品を描こうとしている。 「あの、か、考え中です」 しどろもどろしながらの答えに、永井先輩は、眉をひそめた。 「本当に大丈夫なの?」 永井先輩はとても聡明だ。成績はトップクラスだと聞いたことがある。 私の作品が全然進んでいないことに、気づいているんだろう。 だから、部長として心配して、私に声をかけてくれているんだと思う。 「しっかりしないと間に合わないわよ。時間はあるようでないんだから」 永井先輩の作品へのこだわりはすごい。 勉強もして、美術部の部長もして、良い作品も作っている。私なんか、全然かなわない。 そんな永井先輩を、みんなは信頼している。 でも私にとっては、厳しい。 今回のコンクールのテーマは『夏』だ。作品の締め切りもずばり夏だから、まだまだ時間はある。 今はアイデアを練る段階なのだけれど、正直あせっている。 でも、何とかしなければと思えば思うほどに迷路に迷い込んでしまう気がする。 他の部員の人たちは、アイデアに困っている様子なんてちっともない。 もう下書きとかデッサンに入っていたりする子もいる。 自分だけ置いていかれてるように感じて、あせればあせるほどダメだとは分かってる。 分かっているけれど、それでも無理矢理しぼり出そうとして。 キャンバスに向かえば何とかなると思っていたのだけれど、その見積もりは甘かったらしい。 これが甘いものだったら、カロリーから値段と分量の計算までばっちりなのに! 絵を描くのが辛いなんて、いつから思うようになったんだろう。 構想段階から進まないなんて、なかったはずなのに。
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3-3 名前:vellfire日時: 2012/10/08 17:23 修正1回 No. 13 |
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窓の外からは「バッチ来い!」とか「ナイスピッチ!」とか元気な声が聞こえていた。 連日、グラウンドでは渚東高校野球部の厳しい練習が行われているらしい。 私には絶対無理だな、と思いながら、床に落ちたパレットを手に取った。 描きたいものが全くないのか、と問われれば、ないわけではない。 ――それは、パレットを落としてしまった理由でもある。 煮詰まったから気分転換、と自分に都合の良い理由をつけて。 そして私はここから見える校庭で練習をする野球部をちらちら眺め出すんだ。 視線の先には、緑川先輩がいる。 誰かに何かを疑われたら「やっぱり夏といえば、スポーツですよね」と答えも用意している。 ――そんな言い訳は通じないと分かっているのだけれど。
私は、緑川先輩をキャンバスに描いてみたい。 でも、そんなの作品にはなりえない。浮ついた気持ちを作品になんてしちゃいけないんだ。
「イメージは浮かんできてはいます」 苦し紛れだけど、そう答えるより他はなかった。 「それだけじゃ、作品は完成しないのよ」 永井先輩の言葉が、私の心をえぐるように届く。やっぱりダメだ、私。 「キャンバス、真っ白じゃないの」 永井先輩は私の後ろに回りこんできて、言った。 「はい。えっと、真っ白なのは、テストだけでいいんですけど」 シーンとした。笑えない。笑えなさすぎて、泣けてきそうだった。 永井先輩はすごいけれど、私はそんな風にはなれない。 やっぱり私は、絵も、美術部もやめたい。
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3-4 名前:vellfire日時: 2012/10/14 22:55 No. 14 |
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描きたいものがあるなら、それを好きに描けばいいと思う。 それが絵を描くってことだと思ってた。 だけど、今、そうはできない。それにはいくつか理由がある。 過去には絵を褒めてもらって、それが嬉しくって、何も考えずに描けていた。 高校生になって美術部に入って、永井先輩のすごさに憧れた。 それにかなうはずもないって気づいたのは、やっと描きあげた作品が最初のコンクールで箸にも棒にもかからなかったから。 好きなものを好きに描くだけじゃダメなのよ、って永井先輩に教えられた。 永井先輩に教えられているうちに、先輩の厳しさにはついていけないと思うようになった。 私には、永井先輩に褒めてもらえるような作品を描く才能が、ない。
そのころから、絵が手につかなくて、外が気になるようになった。 野球部の人たちが、なぜあんなに野球に打ち込めるんだろう、そう思ったとき、緑川先輩を見つけたんだ。 きらきらとしたその姿がまぶしくて、眼から離れなくなった。 絵を描くとき、『その内面まで描きたい』と思ってきた。 でも緑川先輩を描きたいと思ったとして、私は緑川先輩に近づくことすら難しい。 描きたいものすら、描くことができない。 そう思ったときに、私は絵を描く資格をなくしてしまったんだろう。 でも、美術部をやめたいのに、やめられない。 私には、緑川先輩を見られる場所があるって言うささいな幸せを捨ててしまう勇気がないのだ。
「ちょっと横井さん、聞いてるの!?」 急に怒りに満ちた声が聞こえて、「ひゃい」と情けない返事をしてしまった。 永井先輩が、ため息をつく。 「すみません」 「謝って欲しいわけじゃないわ」 その声にまたすみませんと言ってしまった。 「もういいわ。やる気がないなら今日は帰りなさい」 あきれたように頭を振って、永井先輩は自分のキャンバスに向かった。 空気が、とても悪かった。窓から入ってくる風が、油のにおいを運んでくる。 うっ、となってしまって、失礼しますと頭を下げて、美術室から逃げ出した。
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