個別記事閲覧 Re: 相互アドバイス、相談スレッド 名前:はっち日時: 2012/12/08 12:46 修正2回 No. 4
      
零紫さん、早速の返答ありがとうございます。
ひとまず起爆剤としてやや極端な議論をしてみましょう。

>>エースというのは〜仲間の期待や信頼と自分の自信やプライドの板挟みになる立場
仲間からの信頼があって、自分にも自信があるなら何と板挟みにはなるのですか?皆が同じ方向を向いているならそこに軋轢は生まれないでしょう。
僕から付け足すなら、できて当たり前の苦しさと、「井の中の蛙」と呼ばれる恐怖にさらされる存在ということになるでしょうか。

>>私の場合は自分の自信が〜打ち砕かれる負け方を書きますね
>>読者が読んでいて共感惨めなくらいの絶望なんかも書くとよりリアルかも
僕は、自分と相手の力関係を測り損ねるようでは「図抜けたエース」になれないだろうと思うんです。
その相手を確実に打ち取れるのか、それとも五分五分の場面なのかで選択する球種や狙いは変わります。「図抜けたエース」は相手のねじ伏せ方を知っている投手です。そのために、自分が打たれる見積もりはどのくらいなのかをかぎ取る必要があります。すると、投手としての嗅覚が鋭ければ鋭いほど、自分の敗北が意外ではなくなっていくのかなと思います。悔しいという感情はあるでしょうけれども。

>>その苦難困難を乗り越えて、一度屈辱を味わされた相手にリベンジして
>>実力はもちろん人間的にも真のエースに成長していく
ひっくり返せば、「図抜けたエース」って周囲に絶望をばらまく存在でもあるんですよね。野球が好きでやっているという選手だけでなく、頂点を目指して努力を重ねる選手にこそ、それでも届かないという事実を突きつける存在でもあるわけです。
そういう意味で言えば、真のエースっていうのは、自分が異端であることを迷わず徹底できる存在なのかなと思います。他人に同情や共感を示して歩み寄るのではなく、凡人とは一線を画した存在であり続けること。これは大きな苦しみを抱えるのだろうと思います。凡人から見ればほとんどクソ野郎だと思います。
パッと見た華やかさとは裏腹に、多くの方が題材になさっている「図抜けたエース」は苦痛を象徴する存在なのかもしれませんね。