個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2012/12/30 00:47 No. 1
      
第一章 復活のFanfare

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2012/12/30 00:49 修正1回 No. 2
      
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おや、ボール半分外れているのか。外角ギリギリ、ストライクのゾーンに、ストレートが綺麗に吸い込まれた……気がしたのだが。首をかしげて驚いていますよと、アクションを入れてみた。どうせ判定は覆らないということは、むろん承知している。
その仕草を見かねて、主審は左の手のひらを下方向に数回突き出すジェスチャーを付け加えた。なるほど、少し低いってわけか。キャッチャーの返球を受けながら、丸め込むように納得させた。
セット・ポジションに入って三塁走者をひと睨み。あんまりうろちょろ動き回るなよ。菅浪翔也(すがなみ・しょうや)は、その目線で意思表示した。
カウントはワンボール、ツーストライク。ストレート、スライダー、ストレートとスピードのある球種で組み立ててきたから――うんうん、チェンジアップが妥当だろう。二つ返事で、菅浪はサインに頷いた。

ボールを5本の指でわし掴みにする形で握り、中指だけは第二関節あたりから立てるようにしてボールから抜く。3秒ほどで、握りを作り終えた。
チェンジアップを投げるのに大事な要素は"演技"だ。足を上げた後は、あたかもストレートを投げる風な感じで、めいっぱい腕を振り抜く。
まんまとタイミングを外してしまった相手バッターは、軸を崩したスイングを強いられる。平凡なフライになり、菅浪は打球を仰ぎ見た。
思っていたよりも打球は遠くに飛んで行ったが、ライトが定位置からゆっくりと前進して掴み取る。3つ目の赤いランプが点灯したのをこの目で確認してから、小走りでベンチへと戻った。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2012/12/30 00:51 修正2回 No. 3
      
「投げ急ぎ過ぎだ」
菅浪がベンチから帰ってきた矢先、橘英一(たちばな・ひでかず)が苦言を呈する。
2軍投手コーチの肩書きを持つ彼だが、その表情は険しさをにじませていた。
「気のせいじゃないっすか?」
「アホ、はぐらかしたって無駄だ」
ポン、と頭を小突かれた。ついでに睨みを利かされてしまう。菅浪はバツが悪そうに立ったままでいるしかなかった。
「ったく、本当は気付いてたんだろ? 早くアウトを取りたい取りたい……って気持ちがはやってたことくらいは」
どっこいっしょ、と橘はベンチの椅子に腰かける。
「いや、そういうわけでは無いんすけど」
「じゃあアレか、桐生(きりゅう)みたいにかっこよーくバッターを片付けたかったのか?」
まんま図星。仕方がないのでうつむきながら、菅浪は白状した。絞り出すような、乾いた声で。
「勘弁してくれよ……」
ちらつく白髪混じりの頭を少しかきむしりながら、橘は溜め息をついた。
「何度も言うけどよ。もうお前は桐生みたいな、力でねじ伏せるピッチングは出来ないんだ。
だからあの夏のクソ暑い日に、俺に教えを乞いに来たんだろ? "技巧派投手"としてもう一花咲かすことを――」
このセリフを何回聞いたことだろうか。力だけでバッターを圧倒することは――ちょっと前の自分なら、出来た。
でも今は、出来ない。出来なくなってから、だいぶ年月を経ただろうか。
「いいか。身体を落ち着せて、投球前にしっかり間合いを取る。相手にちょいと思考を巡らせたほうが、ちょうどいいんだ。絶対に焦るな。丁寧に、丹念込めて1球1球投げてこい。
それから、さっきの回は上半身ばっかりの力に頼って投げてるだけだ。全然、下半身の力を活かし切れてない。
もっと腰を上手く使って投げろ。腰を意識して投げれば、少なくとも最後のボールが外野まで飛ぶようなことは無いだろう」
橘が話し終えたところで、ベンチが慌ただしさを醸していることにやっと気付いた。辺りを見回すと、いくぶん選手が少なくなっているように見える。
「ほら、もうチェンジだ。間合いと腰に気を付けて、ピシャっと抑えてこい」
尻をポン、と叩かれてようやく解放される。のんびりと言葉を返す余裕すらなく、橘に言われるまま、菅浪は急いでマウンドへと駆けていった。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2012/12/30 00:55 No. 4
      
アウトローいっぱい。キャッチャーが乾いた音をひと鳴らしして捕球する。直後、審判の拳は当然のように勢いよくあがった。
手出しすることすら出来なかった相手バッターは、とぼとぼとベンチへ引き返してゆく。その様を遠い目で捉えながら、菅浪はマウンドを後にした。やはり三振でイニングを締めくくる以上に、気持ちいいものは無い。
それが窮地であればあるほど――この勝負は1塁と2塁にランナーを置いた状況だったが――、湧き出す快感物質やアドレナリンは比例して増加する。麻薬、そのものだ。
腕を振り込んでからボールは糸を引くように、すぅっとキャッチャーミットの元へと、誰にも邪魔されずに一直線に吸い込まれる。これまでバッターを真っ正面から打ちのめす空振り三振ばかりを追い続けていたが、今のような見逃し三振も趣があっていいかもしれない。菅浪はまんざらでもない気分に浸った。

「ランナーは出したけど、前の回よりは出来が良かったぞ」
橘の言葉に、一応合格点はもらえたかと、胸を撫で下ろす。
「とはいえ、ポテンヒットが2本続けて出たことについては考えないといけないな」
「球威不足、なんすかねえ?」
「どちらかといったらボールのキレのほうが今一つなのかもしれないな」
「キレ……ですか」
喉元に流し込むように、言葉を発した。
「そうだ。多分、完全にはボールの精度が仕上がってないと思うんだ。
不完全な分、相手バッターにも捉えられる余裕が出てきてる気がするね。本調子なら、あの程度のバッターなんてどうってことないだろ?」
「確かに」
口元を尖らせながら、こくりと頷く。
「それでも、あまり良くない状態で2回をゼロに抑えたことは収穫って言ってもいいよ。でも技巧派投手はそれが出来るかどうかで、上で通用するかどうかが決まるからな。
とりあえず今日のところはこれで終いだろうから、クールダウンはしっかりしとけよ」
「ハイ、ありがとうございます」
去っていく橘の姿を見つめながら、一礼する。比較的長身で大きかった彼の背が、どんどん小さくなっていった。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2012/12/30 00:59 修正1回 No. 5
      
軽めのキャッチボールとアイシングを済ませ、菅浪はベンチへと戻ってきた。試合を眺めるのに適当な席を見つけて、腰かける。
オープン戦は6回裏に入り、東京パイレーツの攻撃を迎えていた。どうやら5回裏に2点を得点したようで、現在2対0で我がパイレーツがリードしている展開だ。このままいけば、勝ち投手は菅浪のものになる。
オープン戦と言えど、1軍昇格を目指している菅浪にとっては、1軍監督の大地(だいち)にアピール出来る大きな材料となりうるだろう。何とかこのままのスコアで試合が進んでほしい。そんなことを切実に思いながら、フィールドに目を傾けていた。

「やっぱ白星、欲しいんすか?」
一人の男が隣の席に座りながら、話しかけてくる。東京パイレーツの背番号18、すなわちエースナンバーを背負っている彼の表情は、にやりと一笑を付していた。お主も悪よのう、時代劇でのお決まりの言葉のそれのように、意地悪さが少々はらんでいる。
菅波は彼の言葉を無視しようかと一瞬迷ったが、話の相手になってやった。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2012/12/30 01:01 修正2回 No. 6
      
「なんだ、お前も勝ち投手を狙っているほど切羽つまってんのか?」
「まさか。ウチの今年の開幕投手は誰だか分かってますか?」
それはお前、桐生大輔(だいすけ)だろう。そんなことをわざわざ言うのはシャクなので、口には出さいない。代わりにははっ、と笑って質問を流してやった。
「まあそれは置いておきまして。大分ピッチングで苦しんでいるようで」
「余計なお世話だ」
「にしても今日の最速は141キロですか……未練ってやっぱりあります?」
桐生の顔に、笑みが消えた。さすが22歳と若いながら、パイレーツを背負うエース投手。一応の気配りは出来るようではある。でも、何となく気に食わない。
「今日投げてる間、何度もお前のピッチングが頭にチラついたよ」
150キロを超える豪速球に、突然視界から消えるような急激な変化をするという縦と横のスライダー。加えてスプリットフィンガード・ファストボールに、昨秋にマスターしたという新球、シュート。
打者にスイングすらも拒絶させるほどの、圧巻と言うべき投球ばかりが目立つが、変化球でかわして手玉に取る投球も何食わぬ顔でやってのける。結果今日は3回をパーフェクト、5個の三振を奪う快投を見せた。
「ああ、なるほど。でも3年前のビッグスターズとの天王山の一戦、あの試合のスガさんの投球にはまだまだ及びませんよ」
「そりゃあそうだ」
当たり前だ。あの試合は"最高"の出来栄えだったんだから。投球術しかり、ボールの状態しかり、相手打者との駆け引きしかり、完璧だった。
"野球の神様が〜"とかいう言葉を時々耳にしたりするけど、あの時はまさしく"野球の神様"が憑りついていたと思う。9人のフィールドプレイヤーの内のただの1人、という存在ではなかった。決して立ち入ることの出来ない、勝敗の領域にまでも――踏み入れることが出来たのだ。
自分の手ひとつで相手を絶望の淵に追いやり、味方に希望の光明をもたらす。"エース"としての理想的な投球を、自身の力で、いとも簡単に体現してみせた。
だけどそんな夢のような時間も、そう長くは続かなかった。夢を見させてもらった代償なのか、野球の神様の単なる気まぐれなのかは知らない。今知っている事実は――
と考えたところで、菅浪はベンチの天井を仰ぎ、長い溜め息を漏らした。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/10 21:34 修正3回 No. 7
      
2

おかしい。菅浪は首を捻りながら、ベンチの端の席でうなだれていた。みっともない真似はしたくないからと自重しなかったら、今頃何らかのモノに八つ当たりして、ありったけの怒りをぶつけていたかもしれない。
ストレートのキレは上々。スライダーやフォークにしたって腕が振れて、際どいコースにビシビシ決まっている。チェンジアップも、今日は抜け具合がすこぶる良好だ。
制球の方は言わずもがな。インアウトの出し入れはもちろん、ミリ単位でボールを操れるかもしれない。狙ったコースに投げられる能力を"コマンド"と俗に言われるが、そのコマンドが冴えに冴えている。勝ち投手にはなったが、出来はそれほどではなかった前回の試合より調子が良いのは自明の理だろう。
なのに――スコアボードに映っている得点は2回表の攻撃が終了している時点で4、の表示。1回表に1点、2回表に3点という内訳だ。オープン戦初先発の船出は、出航早々から先行き不安な展開を見せている。

「調子はかなり良いんですけど、オサと上手くリードが合わないんすよ」
吐き捨てるように、橘に向かって鬱憤を晴らす。2歳年下でチームの正捕手として、昨シーズン102試合に出場した小山内(おさない)についてだ。
「俺は相手をかわすように変化球を決め球に持って行って打ち取りにいきたいんですけど、今日のオサは過剰に力勝負で押していくフシがあるんですよ。昔からアイツはストレートで締めくくりたい性格ではあるんすけどね。
で、仕方なくストレートを投げるんですけども、昔ほどのボールの迫力は無いからことごとく外野まで運ばれてしまう。あげくここまで4失点のザマですよ」
橘は終始聞き手に回っていたが、浮かない顔をしていた。選手交代までは自身の権限の範疇(はんちゅう)にないためか、こればかりはどうしようもないとでも言いたげな素振りを見せている。
「まあ、今日のところは我慢して小山内と上手く合わせてやってくれ。細かいところはまた試合後のミーティングでじっくり話そう……」

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/10 21:37 No. 8
      
橘がここまで言ったところで、何やらフィールドがざわつき始める。藤沢球場のスタンドも騒然となり、収拾がつかない事態になりそうな雰囲気がこみ上がってきた。何事かと驚いた菅浪は、反射的に椅子から立ち上がって、バッターボックスに目を向けた。
なんと6番打者として打席に立っていたはずの小山内が足首を抱えながら、地でのた打ち回っているではないか。どうやらファウルボールを身体に打ちつけた自打球を、スネの一番痛い所に喰らったらしい。それはそうと、彼の表情はその痛ましさがこちらにも伝わってくるほど、険しさで充満されている。少し前にはさも当然のように握っていたバットは小山内の手にはなく、かわりに両手でバッテンを示すジェスチャーを、ベンチに向かって発信していた。

「うへっ、マジかよ」
頭の中で不意打ちをくらったかのように、菅浪は呆然となってしまう。しかも、プレー続行不可とまできた。代えのキャッチャーは居るには居る。だがリードが合うか合わないかは、蓋を開けてみないと分からない。
小山内とは配球の面で折り合い付かずなのは確かだが、奴より上手くフィットするかどうかは不透明だ。どうやら、今日はことごとくツイてなさそうである。マネージャー2人の手によってタンカで運ばれていく小山内の姿を凝視しながら、腕を組みつつ静かに腰を下ろした。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/10 21:43 No. 9
      
「いやぁ、菅浪サンのボール、一度でもいいから受けてみたかったんですよ。だからオサさんには悪いですけど、自分は今めっちゃ楽しみです」
「昔の菅浪サン、のボールだろ?」
ひねくれた笑いを見せながら、マウンド上に駆け寄ってきた相棒を一蹴した。大抵、というか、いつもそうだ。自分のボールを受けてみたいとかのたまっている奴は、昔の投球のことを指している。今の落ちぶれた自分の投球を受けてみたいと言った奴は、まだいない。
だから菅浪はそんなことを言う奴に対しては、あえてはねのけるような態度をとるようにした。それが周りに対する反抗であり、自分のプライドを何とか保つ有効な手段であると思っているから。目の前に立っている小嶺俊哉(こみね・としや)がプロ4年目、22歳で将来有望なホープ株であっても、その対応は変わらない。それだけの話なのだ。
「まあ、それは否定しませんよ。日本を代表し、ゆくゆくはメジャーへと羽ばたくことも有力視されていた大投手のボールと、開幕一軍へ向けて当落線上に居る、強いて言えばどこにでも居るような投手のボール。
この2択問題で自分がどっちを選ぶって言ったら、答えなんて分かりきってるでしょう?」
菅浪は虚を突かれ、黙り込む。お前みたいな若造に何が分かるか! と啖呵(たんか)を切ってシメてやろうか。そんな考えが浮かんでくるくらい、頭に血が昇ってきた。ここが球場でなかったら、有無を言わさず行動に移していたかもしれない。
「言い過ぎましたね。すいません」
小嶺は礼をして謝るが、もう遅い。散々なめくさりやがって。菅浪は鋭い目線のまま、上から小嶺を見下すように睨みつけたままでいた。それでも小嶺は菅浪の怒っている様子をあまり気に留めずに、淡々と話を続ける。
「それはそうと配球の話なんですけどね。オサさんはストレートを多用してたんですけど、自分はスライダーとチェンジアップを決め球に持っていきたいと思ってるんです。この2球種は、今日の菅浪サンのボールの中で一番精度が高いですから。
それでストレートは見せ球やカウントを整えるのに使って、フォークボールはピンチでどうしても空振りや凡打が欲しい場面の時に限って使いたいんですけど……どうですか?」

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/10 21:47 No. 10
      
菅浪の目の色が変わった。こいつ、ちゃんと試合を見てやがる。序盤数イニングほどの投球を観察しただけで冷静に分析出来る奴は、20ちょっとの人材ではなかなかお目にかからない。偉そうな口をきくだけな奴はあるなと、先ほどまでの憤慨は感心へと移った。
「ひとつ訊(き)きたいことがあるんだが」
小嶺の頭の良さを信用して、質問してみる。
「なんでしょう?」
「俺も今日は調子が良いと自負している。たぶん紅白戦や前回投げたオープン戦、細かく言えばシート打撃の投手を務めたときもひっくるめても、今日が一番の出来具合だ。
そこで、だ。俺はこの回含めてあと3イニング投げることになってる。オサとは折り合いつかずで、ここまで4失点した。だけどお前とは上手く息が合えば、この先ゼロに抑えることもたやすいと思うんだが、どう考えている?」
「そりゃあ無失点に抑えるのはもちろんですよ」
小嶺が顔をほころばせ、笑った。
「それよりも、パーフェクト狙いませんか? パーフェクト。正直菅浪サンの力ならこの程度の打者なんて、わけないでしょう? 
無失点なんてみみっちいこと言わずに、もっと昔みたくガンガン攻めていきましょうや。もっと上から目線でモノを言ってかないと、菅浪サンらしくないですよ!」

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/10 21:49 No. 11
      
小嶺はそう言い切った後、もう一度菅浪に向かって笑みを浮かべる。菅浪は瞬間的にハッとして、目からうろこが落ちた。確かにそうだ。これまでの試合の中で、自分自身で何か納得出来ない部分があった。結局分からないままでいたのだが、その答えはまさにそれなのかもしれない。今更ながらだが、菅浪は閃いていた。
「よし、とりあえず今日のところは5回までよろしくな。任せたぞ!」
「ハイ。皆を驚かす投球を、見せてやりましょう!」
2人はマウンド上でニヤッと笑みを漏らしながら、たがいの右手でグータッチを交わす。そして小嶺はホームへと小走りで戻っていき、定位置で腰を下ろして準備を整えた。
主審も痺れを切らしかけていたようだった。小嶺が構えに入ると早々、やっと終わったかという風に、プレー再開の合図を告げた。さあ、今日はこれまでは前座。ここからが本当のプレイボールだ。
小嶺とはまだバッテリーを一度も組んだ経験すら無いが、心なしか上手くいきそうな感じがする。たぶん向こうも同じことを思っているはずだ。もしかしたら――アイツとは今日を境に、これから長い長い付き合いになるのかもしれない。
そんなことを頭の片隅に思い浮かべながら、ワインドアップのモーションに入って、第一球を投じた。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/10 22:05 修正2回 No. 12
      
これは出来過ぎなのか? 菅浪はマウンドからスコアボードを眺め込んで、ふと思いに浸った。3回表と4回表には0の文字が並び、もうじき5回表にもそれが映し出されるだろう。
この回はフォアボールで一人ランナーを出してしまったが、3回以降はヒット1本すらも許していない。元々調子が良かったのも事実だ。ただそれ以上に、小嶺のリードが――的を射るように的確だった。
まるでバッターの心理を何らかの方法で読み取っているのではないかと疑うくらいに、ことごとく相手打者の読みを外させている。さすがに小嶺もここまでやれるとは思ってはいないのではないか。
しかし当の本人ときたら普通のことをやっているだけだ、とでもえばってるような目線を、こちらに向けている。ったく、何て奴だよ。憎たらしく思ったので、菅浪はその目線から背けるように後ろを振り向き、ワンナウト! と掛け声を発した。そう言えば年齢から考えると、コイツは桐生と同期だよな。
桐生もそうだか小嶺にしたって、若いながらもやけに堂々とプレーしてやがる。それはそれで良いことには違いは無いのだろうが――どうしても昔を思い出してしまう。自分が右腕ひとつで築き上げた実績、名声、"エース"の座、まさに栄華を極めた時代を――
だから奴らの躍動する姿を見ると、羨ましさでべったりと塗りつぶした嫉妬が、時々自分の心をむしばんでしまいそうになる。感心する一方で、菅浪はどこかやるせない思いを抱えていた。

さておき、再びホームの方を向いて、小嶺とサインを交わす。相手は昨季仙台スパイダーズの6番打者として16本塁打を放ち、頭角を現してきた23歳の若手選手、宮城(みやぎ)。
荒削りではあるが、長打力に魅力があるバッターだ。その証拠に若手主体のオーダーの中で、4番打者に堂々と抜擢されている。
第一打席は外角のストレートを左中間を真っ二つに破り、結果タイムリーツーベース。続く第二打席はチェンジアップでタイミングを外して何とか打ち取ったのだが、レフトフェンス手前のアンツーカーまで運ばれてしまい、一瞬ドキリとして焦った。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/10 22:08 修正3回 No. 13
      
とにかくスイングが力強いので、まともに衝突させてしまうと敵いようがない。しかし菅浪は厄介な相手を前にしていたが、小嶺の本領を垣間見るには絶好の場面と、彼に密かな期待を寄せていた。
さあ、ここがお前の一番の見せ所だぞ。今なら寸分の狂いなく狙った所に投げられるが、一体どこにボールを投げれば良いんだ?
ほう。アウトサイドのストライクゾーンをかすめて、ボールになるスライダーか。つまり第一打席に打たれたコースから、ちょいと変化させて打ち取るわけだな。なかなか良いアイデアじゃないか。菅浪はサインに大きく頷いた。
セット・ポジションの形から左足を数十センチだけ上げ、クイックで投球モーションに入る。変化はやや小さめ、バットの芯を外す程度で。中指でボールを切るように、しかし腕の振りはストレートを投げる時と同じ振りで右腕を投げ下ろした。カットボールのような速さとまではいかなくとも、普通に投げているスライダーと差別化は図れるだろう。
スライダーとは知らずに初球から振りにいった宮城は、まんまとバットの芯を外す格好となった。先端に当たりしょぼい音を残した打球は、サード正面へ平凡なゴロとなって飛んでいく。
サードの須永(すなが)が手慣れた動きで捕球して、狙い通り5−4−3のダブルプレーが完成した。一連の打球処理をマウンド上で見守っていた菅浪は、思わずグラブを一叩きして、よしっと声をあげる。

「ナイスピー!」
駆け寄ってきた小嶺が、労いの言葉をかける。やはり右手にはお約束とばかりに、グーの拳が出来ていた。
「お前こそ、ナイスリード!」
菅浪も同じように右拳を突き出して、先ほどと同じくグータッチを交わす。自然と顔に笑みが漏れていたようで、小嶺も応じるように笑みを作っていた。パーフェクトとまではいかなかったが、小嶺とのリードは驚くほどマッチした。5回4失点という結果以上に、内容や出来がすこぶる良い。目標の1軍昇格も、いよいよ現実味が帯びてきたかもしれない。
そして5回表のスコアボードはゼロの数字を映し終え、東京パイレーツの攻撃へとチェンジした。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/15 21:49 修正2回 No. 14
      
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6回を投げて被安打5、無失点。去年はウエスタン・リーグで2位の好成績を挙げた房総シーガルズの並み居る主力選手を相手にして、この結果は褒められるべきだろう。
結局敗戦投手になったスパイダーズ戦では、序盤に痛烈な当たりを連打される場面が目立った。しかし今日の試合で許した長打はわずかに1本。続けてヒットを打たれるもことなく、丁寧な投球でゴロの山を量産。終始安定したピッチングを見せ、万全の仕上がりをアピール出来た。
ただ菅浪は、何ともしがたいジレンマに駆られていた。試合終了を告げる主審の声も、自分とは関係のない別の世界で、ひっそり動いている感じに聞こえる。4対1で逃げ切り、オープン戦2勝目を手にした実感もあまりない。
終始ぼんやりとした様子で道具を片付けて、特に喜ぶこともなくベンチを後にする。勝利投手としてインタビューをいくらか受けたが、どれもうわのそらのような生返事での受け答えだった。
今日は小嶺と上手く折り合いがつきました。失投が少なく、おおむね狙った通りに投げられたからです。はい、先発ローテ入り目指して残り少ない試合でも積極的にアピールしていきたいです。ありがとうございました。
インタビューを終えてようやく一人になった菅浪は、ロッカールームの椅子に座りこんで、色々と考え込み始める。しばらくして菅浪の思考の矛先は、"あの日"の情景へと向けられた。今から3年ほど前の話だ。ジレンマを生んだ元凶、と言ったら言い過ぎではあるが、"あの日"が今の菅浪を揺れ動かしているのは確かなことだった。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/15 21:57 修正1回 No. 15
      
夏の終わりを感じさせないほどの酷暑が押し寄せるこの夜。ひとたび外に出てしまえば瞬く間に蒸された空気にさらされて、早く、しかし確実に身体の水分奪っていくほどだ。昼過ぎには東京中で熱中症患者が続出し、救急車が環状線を慌ただしく駆け巡っていたらしい。
そんな日に行われた東京パイレーツと東京ビッグスターズとの、伝統の一戦の試合開始は6時ちょうどだった。この2チームの戦い、世間からは"東京ダービー"なる冠名で呼ばれているが、とにかくアツい。名門球団であるビッグスターズはもちろんだが、総じるとBクラスでくすぶるシーズンの方が多いパイレーツ側も、このダービーマッチに限っては負けまいと昭和の時代から奮闘しているほどだ。明治スタジアムはたいてい昼過ぎに大学野球のリーグ戦をやっている。アマチュアなので観客席には空席が目立つのは当然なのだが、夕暮れ時になってこの東京ダービーが行われると、あっという間にそれは影をひそめてしまう。

しかも今日はその中でも特別なくらい、盛り上がっている。試合前から異様な熱気がスタジアムを占拠し、それでいて張り詰めている糸のような独特の緊張感が、じりじりと息を殺しながらフィールドにも浸透し始めていた。もしもビッグスターズのユニフォームを着たファンが間違えてライトスタンドのパイレーツ側の応援席に乗り込んでしまったら、袋叩きにされるのは確実だろう。紛れも無い異常さが、あたかも当然だと言い張るかのように居座っていた。観客もそれを全く疑う素振りすらも一切見せずに、受け入れている。しかし彼らが間違っていると、声を大にして言うことは出来ない。
ゲーム差1.0での一騎打ち。首位攻防の第一ラウンドで白星を勝ち取ったビッグスターズが、1位パイレーツを追い越す射程圏内に捉えたのだ。かたやパイレーツは逃げ場を失い、背水の陣で次戦、すなわち今日の一戦に臨まなければいけない状況に追い込まれてしまっていた。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/15 22:01 修正1回 No. 16
      
そんな中でプレーボールが告げられた第二戦。マウンドを託されたのはスーパールーキー、桐生大輔だった。大阪享陰(きょういん)高校で全国制覇の実績を引っ下げ、ドラフト1位で華々しくプロの舞台へ乗り込んできた左腕は、ここまで9勝を挙げている。イースタンで高卒ルーキーが二桁勝利を記録するのは、一体いつぶりになるだろうか。彼なしで今の首位という座には、恐らく君臨出来なかっただろう。
だが蓋を開けるといなや先頭打者から大勝負の洗礼とばかりに4連打を浴びる。どれもシングルヒットであったとは言え、開始数分で1点を献上。ビッグスターズファンは大盛り上がりで、待ってましたとばかりの大歓声が渦巻いた。
さらに続く5番打者の岡部(おかべ)相手に至っては、黄色いランプを灯すことすら出来ない。
押し出しのフォアボールのコールがされた直後、背番号31を乗せたリリーフカーが外野の人工芝を駆ける。2点ビハインド、なおもノーアウト満塁の場面で、菅浪は緊急登板に上がった。

「俺のピッチング、向こうで見とけよ」
左利きのグローブの中に収めているボールを半ば奪い取り、菅浪は背中を一叩きして言葉をかける。だが予想以上に、桐生は意気消沈に陥っていた。なびいていた黒い長髪が、今では汗でだらりと下がる一方だ。目もどこか虚ろな様を漂わせ、試合前には威勢良く投げ込みをしていた余裕は、微塵も感じられない。
桐生からは何一つ返事が返ってこなかった。返ってこなかった、と言うよりは聞き取れなかったと言ったほうが正しいか。薄く漏れたぼそぼそ声だけを残して、フェードアウトするように、重い足取りで少しずつマウンドから降りていく。言葉がちゃんと伝わったかは、この時点では分からずじまいだった。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/27 07:41 修正1回 No. 17
      
ただの2ストライク目を取ったような反応ではなかった。指先から離れたと身体が認識した瞬間、ボールはその場を脅かしうる爆発力を秘め、キャッチャーミットの制止を振り切ってしまうのではないかとヒヤヒヤするほどの勢いで一直線に突き進んだ。わずかコンマ数秒の空白の後、暴力的な重圧と事の大きさを声高にして叫び立てるような捕球の衝撃音が、フェアグラウンドに戦慄を走らせる。
159キロ。スピードガンの計測が電光掲示板に表示した瞬間、明治スタジアムは観客の唸り声や歓声で入り乱れた。驚きの声や喜ぶ声、ざわめいたりして湧き上がる声が360°、全ての方向から飛び交ってくる。それらが混ざり合って耳に入ってくるのだから、たちまち奇妙なノイズのようなものに早変わりしていった。でも不思議なことに、ノイズと言うほど騒音っぽくは聞こえない。アドレナリンが大量に噴き出ているからなのか? まことに不思議だ。
あと1キロで夢の160キロ! ということよりも、2キロも自己最速を更新したのかということに、関心の目は向いていた。マウンド上の菅浪翔也は意外と冷静な面持ちでキャッチャーからの返球を受け取って、ロジンバックに触れる。今頃テレビ中継の映像は自分の背番号である31をアップで映しているのかなあ。そんなどうでもいいことを頭の片隅で想像したりしながら、マウンドプレートに足を乗せた。
3人のランナーの睨む視線が、こちらに向けて送られてくる。ご苦労なこった。どうせホームベースは踏めないだろうから、いっそベース上で座っていたら? 思わず頬を歪め、笑みをこぼした。
バッターの目は先ほどのスピードガンの件に驚かされて、勢いを削がれているように見える。とは言っても天下の東京ビッグスターズのレギュラー選手、一本打ってやるという気概は保っているだろう。ふん、天を見仰いで悔しがる姿は、もう目に見えているのに。まあそんなに気合が入っているならば、さっさと投げて空振りを奪っておいた方が良いのかな。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/27 07:44 修正1回 No. 18
      
キャッチャーの南郷(なんごう)のサインは、もう一球ストレートを内角にということだった。悪い選択ではない。でも、菅浪は南郷の要求に首を横に振った。プロ16年目の大先輩を相手に珍しく。
すんません、でもここはサクッと確実に三振が欲しいんですよ。不満そうな視線を投げかける南郷に対して、なだめるように軽く会釈をした。
菅浪が投じたのは、ストライクゾーン真ん中からアウトコースへと食い込むように大きく変化する、高速スライダー。当然バットはボールを捉えられず空回り。スイング・アンド・ミス――空振り三振――、一丁上がりだ。
右バッターボックス内では、空虚感が漂うスイングの残像が残されていた。コマのようにくるりと1回転し、身体を完全に三塁側を向けていたバッターは、バットを杖がわりにして落胆した様子で立ちすくんでいる。ほら、言った通りじゃん。見下すような冷たい視線を投げかけながら、ゆっくりとした足取りでマウンドを降りる。
ライトスタンドを陣取るパイレーツの応援団からは拍手喝采、まるで火山が爆発でも起こしたかのような大歓声で地を唸らせながら、スタジアムを支配していた。対して満塁の大チャンスを逃したビックスターズ側のスタンドは、溜め息や叱咤を飛ばす声などを募らせている。そして混ざって絡まり合い、先ほどと同様に奇妙なノイズを奏でて、菅浪の耳に入っていく。
でもそれが今日の菅浪にとってはとても心地の良い物音となって、新たな快感物質を生み出す要素までに成りえていた。ベンチへと入っていくまで、それを惜しむように、味をずっと噛みしめるように、歩調を早ませず聴き続けた。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/27 07:46 修正1回 No. 19
      
おいおい、ビビるほどのボールじゃなかったろ? その場に転がり込んでしまったバッターに向けて、菅浪は軽蔑した。球速表示は147キロとあるように、一回り手を抜いて投げたストレードだ。
さすがに威嚇球までも90マイル後半を投げるほど、鬼じゃない。むしろ仏様だろう。この世には遊びの野球で、あろうことか嫁さん相手に全力のビーンボールを放り込むお方だっている。自分はどうだ? 左肩付近という回避可能な範囲で、仮に当たったとしてもまだ軽傷で済める部位だ。
こちとら最低限の道理はわきまえているんだから、さっさと立てよ。ボールを受け取ってもなお立ち上がらずにグズグズしているアホに、いよいよ嫌気がさしてきた。
しかし菅浪が思っている以上に、事は大きく発展しようと動き出していた。怒りを抑えきれないビッグスターズのファン達が一斉にブーイングを轟かせる。あっという間に、獣が発するような野太い低音が、スタジアムを飲み込もうとしていた。
侮蔑や憤怒を宿したいかれ狂った視線が、菅浪目がけて絶え間なく次々と刺していく。もし目から矢を放てる能力がヒトに備わっていたら、右半身は穴ボコだらけになるまで貫き通されて、見るも無惨な屍に変貌していたことだろう。これじゃあ身体がいくつあっても足らない。
外野は黙ってろと、向こうを指さしながら一喝したい気持ちを、菅浪はなんとか我慢した。
まるでモンスター・ペアレントが仏頂面で学校に乗り込む行為と全く同じじゃないか。全て自分が正しい。むしろ自分が全て。自分が中心に世界が回っている。だから自分が間違っているなんてことなんて一片たりとも疑わない。
そんな彼らにスポットライトを当てた、テレビのドキュメンタリー番組を見て哀れんでいただろうアンタらは、この場で同等の行為をやっているんだぞと、説明してやりたかった。伸ばした右手の親指を地に向けて、いきがるフーリガンに、だ。
紳士たれを貫く名門球団のファンがこの有様ではもう世も末だろう。嘆かわしい思いを粉と一緒に消し去りたい思いで、菅浪はロジンバックに手を入れた。

罵声ばかりがスタジアムを占拠する中でチェンジアップを投じ、相手打者をピッチャーゴロに打ち取る。だけど彼らが恨めしそうに送る視線だけは、まだまだ収まりそうにない。常識さえも通用しない球場のマウンドの上で菅浪は人知れず溜め息を漏らした。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/27 07:52 修正2回 No. 20
      
「おい菅浪! 合原(あいはら)にもあんな球投げるんだったら、今度こそ承知しねえからな!」
たぶんビールがかなり入っているのだろう。どこかの中年男性の張り上げた怒鳴り声が、応援歌のファンファーレが演奏される前に響き渡った。左手にビール、右手はサムズダウン、口からは罵声、そして憎悪で覆われた目つき。
最悪じゃないか。ちょっと想像しただけでも、ヒトとしての醜い箇所が芋づる式に次々と見つけることが出来てしまう。
皮肉なことに彼を勇気ある者とでも勘違いしているのか、レフトスタンドからは同調するようにブーイングが再び飛び交った。さっきよりも盛大なのは明らかで、冗談抜きにスタジアムが揺れている。足元から順々に菅浪の身体を確かに震わせていた。
それでもブーイングの禍根を作った菅浪の方は、心の中で奴らをあざ笑っていた。まだまだ余裕があるぞと見せびらかさんばかりに。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/27 07:54 修正1回 No. 21
      
5回裏の3得点で、ウチは逆転することに成功した。南郷さんが放った逆転の2ランホームランは、劣勢を優勢に一変させるのには充分な一撃だった。そして表の攻撃。向こうは死にもの狂いで同点にしようと、手段を選ばずにあれこれ試みる、はずだった。
だけども俺が投じた威嚇球で、それを遂行するのは許されない雰囲気が立ちこめた。強攻策で打って出て俺を打ち崩す以外の選択肢は、その時点で消されてしまったわけだ。でも、それは限りなく"敗北"に近いものを表している。
今日の俺の成績、5イニングスを投げて奪三振10、四死球ゼロ、被安打ゼロ。
150キロ台後半を連発するストレート。魔法のようにバットをくぐりぬけ、いとも簡単に空振りを奪えてしまう高速スライダー。時折140キロ台も計測する切れ味抜群のフォークボール。時々投げ込むチェンジアップは相手の思考を複雑化して、さらなる混乱の渦へと陥れる。完璧だ。打てるわけないよと、わめきたい気持ちを押し殺しているバッターの姿が、たやすく想像出来る。
そんな自身の状態なわけなので、3番から始まるビックスターズ自慢のクリーンアップを持ってしても――ヒット1本打つことですら懐疑的だ。まして本腰入れて得点することを考えれば、強攻策ほど愚かな戦法は無いだろう。
ビッグスターズファンの諸君。勝利への道筋は、自分たちの手で消しているんだぞ。自分で自分の首を締め上げていることに、いよいよ気付かないとまずいかもしれないよ。
そんな意味合いを込めて、インコース低めに156キロのストレートを放り込んだ。直後にこれまで鳴りやまなかったブーイングが消える。
冷ややかだった観衆の目はたちまち、踏んではいけない尻尾を踏んでしまった怪物の強大さにようやく感づいてしまったかのような、絶望感を染めた虚ろな目に一変した。一瞬のうちに静寂へとたちかわった球場は、ビールの販売をうながす売り子の明るい声が、よどむことなく耳に入るほどだ。
ビールいかがですかー? ははっ、絶対飲みたくねえわ。菅浪は想像して、小さく笑ってしまった。
でもまあ、大人しく戦況を見つめていたほうが得策だろうな。――今更やっても無意味だけどね。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/01/27 07:57 修正1回 No. 22
      
4番の合原、5番の岡部と対峙して投げ込んだ球種は、全てストレート。しかし火を噴き出しそうな勢いで襲ってくる剛球を矢継ぎ早に繰り出されては、相手はバットを振る勇気を奮うことでさえ困難だった。
恥ずかしがることではない。菅浪の方が明らかに"力"で上回っているのだ。
黙ってストライクを3つ見送り、ダグアウトへ引き返る。怪物相手に生身の人間が相手しても到底敵わないことは、脈々と受け継がれている特撮アニメで分かっているのだ。だから誰も責めたりはしない。明治スタジアムを支配していたのは、紛れもなく菅浪翔也ただひとりだ。ありとあらゆる抵抗も、無情なまでに倍返しで突き返される。
彼の右腕から放たれるボールひとつで希望も期待も現実感も、何もかも吸い寄せられて、人々は皆、彼が立つマウンドが現実の空間ではなく、限りなく遠く放たれた別次元の世界だと錯覚してしまう。
そして、見るだけ。別次元に居る別次元の人間の、人業離れした魔力に吸い寄せられ、口を閉ざして釘付けになって、呆然と見つめるだけ。淡々と一つずつ黄色いランプが積み重なる様は、綺麗な街並みを早々にガレキの山へと変貌させてしまう、それこそ怪物の仕業のようだった。
投じるボールは凶暴で傲慢であり絶対的で、恐れおののいたバッターの両手を縛り上げて、突破の道筋すら見出すことも許さない。突き詰めれば無情のピッチング。
158キロのストレートで岡部を見逃しの三球三振に切った瞬間、悲鳴に似た叫び声がレフトスタンドのあちらこちらで巻き起こった。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/02/11 21:27 修正1回 No. 23
      
4

「鳥肌立ったぜ、昨日のピッチング。とても中二日でマウンドに上がった投球じゃなかったぜ」
「へへっ、そりゃどーも」
明治スタジアムそばにあるパイレーツの室内練習場。菅浪と江ノ本和馬(えのもと・かずま)はストレッチで身体をほぐしながら、前日の一戦についてだべっていた。昨日は有り余るほどの快晴だったのだが、今日は一転して大雨。屋根に当たってしぶきをあげた音が、大量に、ひっきりなしに響くほどだ。試合中止のアナウンスが流れたのは今から数時間前のこと。どうやらこのカードの最終戦は、シーズン佳境の10月頃に持ち越されるのだろう。
「そう言えば初回の159キロの計測、見てたの?」
「もちろんよ。でも明スタだから軽く見られてるだろうな。もっぱらガンの速度を水増ししてるって言われてるし。俺に言わせりゃ、ガンの表示より現物の方を見てほしいけど」
「本当にやばかったもんな。昨日の翔也は」
「ああ。相手がビッグスターズだとか昨日負けてまずい状況だとか、そんなの全然気にならなかった。たぶんテニスラケットで迎えうたれても打たれる気がしなかったね」
それだったら網ごと引きちぎっちゃってるかと考えて、菅浪は笑ってしまう。
「和馬はあさっての中京戦、投げるの?」
ひょいと指先で投げるようなジェスチャーをして、江ノ本に尋ねた。菅浪と江ノ本は5年前にイレーツに入団した同期同士だ。菅浪は華々しくドラフト1位で、江ノ本はひっそりとドラフト5位で指名された。宮城県の宮城第一高校から社会人野球を経た菅浪と、千葉の楢志野(ならしの)高校から東都の大学野球を経た江ノ本。プロ入りする前の経歴は互いを結びつける共通点すら無い。しかし同い年という縁があったので、出会ってからすぐに仲良くなった。今では共に先発ローテーションの役割を担い、下の名前で呼び合うほどの親しい仲を築いている。

「おいおい、そうだったら今頃は名古屋に居るぜ」
江ノ本は苦笑しながら、話を続けた。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/02/11 21:31 修正1回 No. 24
      
「ここだけの話、フライヤーズとの第一戦は桐生らしい」
「マジで?」
「南郷さんからチラッと聞いたんだ。フライヤーズ相手に奇襲をかけるのと、KOされた悪いイメージを払拭するための荒療治もかねてだってよ。試合終わった後、10時過ぎの新幹線に乗ってひっそりと名古屋入りしたようだぜ」
「へえー。伊能(いのう)監督、そんなことあんまりしねえからな。中京さんのほうもビックリするかも」
「だろうね」

会話が一段落したところで地面に置いてあるグラブを拾い上げ、ボールを手に取ってキャッチボールの準備をした。
菅浪は念のため、投げる前に右肩をぐるっと回してみる。昨日の試合はほとんどスクランブル登板のようなものだ。中二日の休養も実際は気休め程度のもの。大した投げ込みも出来ないままでマウンドに上がった。
今にして考えれば、よくもあんなに完璧なピッチングをやってのけたもんだ。7イニングを投げ抜きパーフェクトに抑える快投ならぬ"神投"で、奪った三振は15を数えた。試合中にはどこかしらの箇所に違和感が出たりすることは無かったが、だからと言って安心は出来ない。

肩を回してすぐ、小さな痛みが走った。神経を鋭く刺激するような感じが菅浪の右肩にこびりつく。あまり経験したことのない痛みだ。なんか、危ないかも。このまま投げてしまってもいいのだろうか。
しかし江ノ本は10メートルほど下がり、グラブを構えて待ちかねていた。痛みのほうも少しずつではあるが引いてきている。どうしようか。いっそ今日はノースローにしてしまおうかな。
いやでも、こんな近い距離だったら、大丈夫だろう――

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/02/11 21:33 No. 25
      
安易な気持ちで腕を振り出したその時だった。途端にハンマーで思いっきりぶっ叩かれたような激痛が襲う。
一瞬だった。しかしその一瞬が生み出した破壊力は、銃弾が胸を切り裂き貫くものに相当した。プツリと消えるリモコンのように、急に指先の感覚が失われる。
目の前でボールは、力なくワンバウンド目を弾んだ。これは夢なんだと信じたかった。思い込みたかった。悪い夢なんだ。
しかし、腕はいっこうに動きを取り戻す気配を見せない。一連に繋がっている神経を、ぷっつりとハサミでちょん切られたみたいに。
突然ガタがきてイカれてしまった右腕が、逃避しようとする菅浪を現実へと引きずり戻す。皮肉だ。つい昨日まで積み上げてきた世界を、あろうことかその右腕で払いのけ、崩してしまった。
頭の中では無数の、言い知れない虚無の塊がいびつな螺旋の軌道を描きながら漂い、やがて菅浪の心をむしばみ、全てを覆いつくした。
「やっちまった」
菅浪はその場にうずくまりながら声を漏らした。何事かと慌てて駆け寄ってくる江ノ本の姿が視界に入る。
どんな顔して言ったかはよく分からなかったけれど、たぶん笑ってはいなかったと思う。その時だけは、屋根をしたたかに打ちつける雨音が、やけに大音量で耳に入った。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/02/11 21:43 修正1回 No. 26
      
「残念ですが……完全にやられてしまっています。リハビリ期間は年単位になるということを覚悟したほうが良いですね。
たとえリハビリが上手くいって実戦復帰出来たとしても、前までのボールは投げられないでしょう。150キロはおろか、もしかすると140キロも出せないかもしれません」
こうなることは、肩に激痛が襲いかかったおとといから、分かっていたはずだった。そうなることを受け入れる気持ちも持っていた。しかしどこかで、それを否定したい感情が募っていたのかもしれない。医師から突き付けられた診断結果に、菅浪は何も言葉を返せなかった。レントゲンの方に向けていた目線をつま先まで下ろす。まっさらな白衣を身に纏う医師の姿を直視することなんてもっての他だった。そんなこと出来るはずがない。暑さで熱気を帯びていた身体は、とっくの間に冷え切ってしまっている。

正式な症状は右肩腱板損傷。肩を動かす際、重要な役割を果たす腱板と言われる筋肉をやってしまったというわけだ。医師からの話によれば相当厄介な状態に陥っているということ。
これが原因になってプロ野球の世界からドロップアウトせざるを得なくなった選手は、数えきれないほどいるらしい。突然重病患者というレッテルを張られたような気分がして、ゾッとする。まるで俺が俺自身ではないような、奇妙な感覚と脆くて弱弱しいバランスの上で、今の自分が成り立っているようだった。

様々な感情が渦巻く中で、菅浪がようやく右肩を故障したという現実を肌で感じられたのは、車の運転の最中にテレビから流れていた試合中継。
前回のノックアウトから強行した桐生がフライヤーズ相手に気迫の投球で1失点に抑えて完投し、念願の10勝目を手にした。
とても3日前に青ざめていた奴だったとは思えない。まるで別人のようだ。――俺も、だが。
感心する一方で試合中に何度も計測される150キロの数字が、菅浪の現実をざらざらと擦りつける。3日前の投球。やっとたどり着いた境地だったのに、崩れ去る時間はあまりにも早かった。まるで追い求めていた時間と反比例しているみたいに。
こんなことってありかよ。天を仰ぎたい思いを隠しきれずに、菅浪はハンドルを強く握りしめた。
中継を眺める視線は遠く、冷たく、それでいて羨ましかった。そして今存在しているのは宣告を受け入れるしか出来なかった、壊れた自分だけ――

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/03/25 22:25 No. 27
      
5

「もしもし?」
菅浪を回想から現実へと戻す引き金になったのはスマートフォンの着信音だった。キャッチ―な歌詞とポップなサビの部分のメロディが孤独のロッカールーム内で響き、改めてこの場の静けさを感じさせる。掛けてきた相手は橘。こんな時間にどうしたのかとは思ったが、出ないわけにはいかない。菅浪は指先のタッチひとつで電話に応答する。直前まで深海の奥底に入り浸るように、上書きすることの出来ない悲愴な過去を振り返っていたとは思われないように、いつも通りの口調で言葉を発した。

「突然ですまない。とりあえず今、球場にいるか?」
「ええ、いますよ」
「そうか。それなら話が早い。何してるんだ?」
「あー、ダウン代わりに軽くトレーニングやってきて、それで今ロッカールームで着替えているところですね」咄嗟に嘘をつく。まあまあ辻褄は合っている嘘だな、と我ながら思った。
「よし。着替えが終わったらでいい。後で監督室に行ってくれ」
「どうかしたんですか?」
「大地監督がお呼びしてるんだ」
橘の一言に、菅浪は座りながらではあるが身構えた。ついに来たか。もうそろそろだとは思っていたが、ついに決心されたんだな。注意深く聞き取れと耳に信号を送り、橘が発する言葉の節々を見逃さないようにさせた。
「なに、話は手短に終わるらしいから大丈夫だ。とりたてて悪い話というわけでもないしな。ちゃんと来てくれれば問題無いらしいから、よろしくな」
「ありがとうございます」
画面に映る終了ボタンに軽く触れて、電話を切る。そして顔を一叩きして心持ちを引き締めた。立ち上がって深呼吸をしてから菅浪は自分のロッカーへと踵を返す。悪い話ではない。橘自身は気付いてないかもしてないが、すなわちこのフレーズは、受け取る側にしてみれば"おめでたい話"に相当するのだ。もともと現実主義者で言葉選びが慎重な彼だから、繰り出す言葉が必然とそうなるのは分からなくもない。だから周りから"教授"というインテリジェンスな呼び名で慕われているのだろう。
しかしこの話はどうでもいい。今はとりあえず監督室へと出向かなければ。菅浪は息をつかせる間もないほどのスピードで、ユニフォームを着替え始めた。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/03/25 22:30 修正1回 No. 28
      
着替えが終わり、黒い長袖のTシャツとジーパンというありきたりな格好で監督室へと向かう。一度身だしなみを鏡でチェックして、ロッカールームを出た。
通路を歩きながら、野球選手のファッションが乏しいのは、おしゃれにかける時間の絶対量が足りていないからだと、ふと考えた。
小学校の時から週7日の練習漬けは当たり前。中学校になって練習量が一段と増して、高校野球にステップアップすれば野球以外のことは日常の蚊帳の外へと追いやられてしまう。埼玉から宮城の私立・宮城第一高校に遠境留学した菅浪は、完全に日常を隔離されてしまったクチのほうだ。
今にして思えば寮生活は地獄のようなものだ。一年奴隷二年平民、三年神様。フレッシュな新興私立校とは聞こえがいい。しかしその実態は悪しき野球の縦社会を存分に詰め込み、見るからにイビツな曲線を描いていたと思う。

県内外の出身を問わず野球部員全員が3年間を過ごすことになる"第一寮"はいつの間にやら、"中世の館"なるあだ名がつけられていた。そりゃあそうだ。青春とかけ離れた毎日が、繰り返し繰り返しリピートのように訪れる。
グラウンドでは神経に意識を集中させるのは当然。厄介なのは、いつどやされるか分からないと朦朧とした精神の下で、最善のプレーを強いられることだ。目をつけられるなんてもっての他。それは限りなく"終わり"に近い言葉に言い渡されていると同じだ。
当然学校の授業なんて聞けるはずもなく、教師の声を子守唄替わりに居眠りをして淡々と時間割を流すばかり。寮では同室の先輩たちに体の良いように使役される駒のような扱いをされ、安眠の境地に入ることすら許されなかった。
そして日の出が昇る前に叩き起こされて、朝練という地獄の前奏曲が手招きしながら待っている。それでも神様は無情にもリピートボタンに手をかけた。地獄の道に終わりは無いぞと、最悪の方向への一方通行の標識を指し示しながら。極楽浄土にありつければもう何もいらないと本気で思ったこともある。

自分も含め、そんな1日が日常と化して大人まで育ってきた人種たちだ。それなのにおしゃれをしろと突然言われても無理がある。Tシャツの袖がほつれた見苦しい部分を見つめながら、菅浪はひとり苦笑いを浮かべた。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/03/25 22:34 修正2回 No. 29
      
「なーに笑ってんだ」
比較的大柄の男が向かいの方から、見咎めるようにして喋りかけてきた。明らかに菅浪を変な奴と決めつけた、怪訝そうな目で。
「カワさんこそ、こんな時間にまだ球場に残ってたんですか」
Tシャツの袖から、前に立っている男の姿に視線を傾ける。河合勇吾(かわい・ゆうご)。高卒でプロ入りして今年で16年目のベテラン投手だ。元々は中京フライヤーズで先発投手として活躍していたが、3年前にパイレーツへFA移籍してきた。パイレーツに来てから3年連続で二桁勝利を記録し、その投球は円熟の境地へと迎えつつある。
サウスポーで最速は140キロ台前半だが独特のキレがあるスクリューボールと、半円を描き、どろんと大きく曲がるカーブが決め球だ。中々手先が器用なようで、スライダーやフォーク、カットボールも投げられるらしい。"左は体感5キロ増し"という格言の恩恵を存分に授かっている投手だなと、菅浪は思う。
「自分が投げない時はさっさと帰ってしまうのに、今日は珍しいですね」
皮肉っぽく言葉を付け加えた。この人に変な目で見られるとか、何かに負けたような感じがして、嫌だったから。
どうせこの人のことだ。何か有益な話を上の人、首脳陣と交わしていたのだろう。それくらいのことは察しが付く。しかもその証拠に、目元が少しだけ喜んでいるように見える。浮かれたような、ほっとしたような。嬉しいことがあったことには間違いないだろう。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/03/25 22:39 修正1回 No. 30
      
「ふん、まあこの時期になると俺ら先発投手は誰もがナーバスになってるだろ?」
「俺もこれから監督に呼ばれてるんですけど」
「何だよ、せっかく回りくどく言おうとしたのに。昔から釣れない奴だこと。あー何か、桐生と話しているみたいだな」
不意に河合が笑いかけてきた。彼のたるんだ頬を歪ませて笑われると馬鹿にされているような気がしたが、もっと目についた部分がある。
俺が桐生に似ているんじゃなくて、桐生が俺に似てるんだ。そんな言葉が喉元から出かけたが、馬鹿らしくなってやめた。河合とはあんまりウマが合わない方なので、ご機嫌をとっておいた方が得策だからだ。なるべく早く解放されたいし。
「3番手だ。つまり俺の開幕は3月31日、甲子園、浪速レッズが相手ってこと」
「それはそれは。内定おめでとうございます」
言葉とは裏腹に冷たさを帯びた口調で言った。そもそもこの人は昨季12勝してるんだ。よほどキャンプ期間の仕上がりに手を焼いていなければ、表ローテは確約されているようなものである。
「あとお前の親友の江ノ本クンは2番手だよ。だから開幕カードのローテーションは桐生、江ノ本、俺の順番ってわけだ」
「へえ。和馬が2番手ですか」
「去年は8勝止まりだったけど防御率は俺より良かったからね。俺はあんまり納得してねえけど」
「……すいません、時間がアレなんでもう監督室の方へ行って良いですか」
手もとの腕時計を見る素振りを加えながら、河合に訴える。あんまり彼の与太話に耳を傾けていると、時間があっというまに過ぎ去ってしまう。そのくせ自慢話が多いものだから、さっさと逃げればよかったと結局後悔してしまうのがオチだ。
「仕方ねえな」
さすがに河合もこれ以上言及しようとはしなかった。それでもこの人は後輩をとっつかまえてでも、気のゆくまま駄弁るような人だ。被害者が出ないようにと、菅浪はそっと祈った。
「まあ良い話、期待してるぜ。それじゃあな」
「はい、失礼します」
一礼を添えて、菅浪は歩みを再開する。通路の角を曲がり、河合の姿が無くなったと確認したところで、吸い込んだ空気を溜め息にして一気に吐き出した。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/04/26 23:30 No. 31
      
通路を抜けた突き当たりにある監督室のドアに、菅浪は手をかけた。失礼しますという言葉を直前に添えて、中に入る。
監督室の風景は、普段は二軍の本拠地球場であるからということもあってか、割と質素だった。采配をふるうために置かれたデスクと椅子に、応接用のソファーが申し訳程度に二脚ほど。その間に隔たりとなって、テーブルがある。
上の方に目を傾けてみると、ファームのリーグではあるが、年代順に優勝したチームの記念撮影の写真が飾られてあった。推測するに昭和50年代あたりであろう白黒の年季の入ったものから、フルカラーで鮮明に撮影されたものまで、横一列に並べられている。一番最近のものはどうやら前年度のものらしい。小嶺もファームではレギュラー捕手として活躍していたようなので、彼の姿もあの中に収められていると言ってもよさそうだ。
「やあ、菅浪。久しぶりだね」
この部屋でひとり、待ち受けていた大地義博(よしひろ)が菅浪のもとへ歩み寄った。
「かれこれ3年越しの再会、ということかな?」
「そうなりますね」
菅浪が第一線で活躍していた当時、大地は一軍のヘッドコーチの職に就いていた。入団した時に、ちょうど守備走塁コーチから昇格という形で6年間、チームの参謀役としてパイレーツを支えていたのだ。
2年前に成績低迷を理由に前監督の伊能がシーズン終了後に身を退くと宣言したのだが、その後釜として抜擢されたのがこの大地。昨年から監督としてのキャリアをスタートさせた。
「しかし何と言っていいものか、感慨深いなあ」
少々大袈裟に語気を強めて、大地の視線は宙へと浮き始める。
「パイレーツに入ってからずっとお前を見ていたけど、絶対に凄い投手になれるっていう確信は最初からあったんだよ」
「事実、ルーキーイヤーで新人王を獲りましたからね」
菅浪の1年目のシーズン、パイレーツは1年を通して波に乗れず停滞する期間が続き、5位という結果に終わった。しかしその中で菅浪は奮闘し、チーム最多の11勝を挙げる活躍を見せたのだ。
「3年目には最優秀勝率で初のタイトルホルダーになって、4年目は17勝を挙げて最多勝、そして最多奪三振も獲って二冠に輝いた。5年目も……順調と言えば順調だったが」
「ガタがきちゃいましたね」
誰のせいでもない、仕方ない、という気持ちを込めながら、菅浪は控えめな声で言った。

個別記事閲覧 Re: 【新作】Dance Again! 名前:ナナシ日時: 2013/04/26 23:32 修正4回 No. 32
      
「それでもあの日のお前のピッチングは、本当に凄かった。去年、スポーツ番組の特集の中で『今まで見た中で一番の投手は誰ですか?』っていう質問をされたけど、俺は迷わずお前って答えたよ」
「光栄です、と言っておいたほうが良いですかね」
あの日というのは察しがつく通り、夏の東京ダービーでの一幕の件だろう。しかしこの出来事は、良くも悪くも自分の胸にざらざらと擦り付けてくる。それでもこの試合に感銘を受けた人数というのは、たぶん自分が予想しているよりもずっと多いと思う。
「率直に言おう。俺は今、"起爆剤"を必要としているところだ」
起爆剤、という言葉が菅浪の脳裏に鮮烈な衝撃を与えた。起爆剤という響き、放たれるニュアンス。それによって胸の底からぞくぞくと湧くように熱いものがこみ上がってくる。耳に入り、脳で認識する過程を経て、内に秘めている自身の闘争心を強く刺激させた。
「ウチは去年4位という結果に終わっている。先発陣では桐生が一人立ちして13勝を挙げ、河合もきっちり二桁勝利を稼いだ。江ノ本は勝ち星こそ恵まれなかったが、安定した成績を残してくれた。
しかし、それだけじゃまだ物足りない。今のチームがビッグスターズ、中京、浪速の三強に割って入るにはだ。何度も言うが、チームを前へ前へと押し上げてくれる起爆剤が必要なんだ」
知らず知らずの内に、菅浪は固唾をのみながら大地の話に耳を傾けていた。
「4戦目のホーム開幕戦、明治スタジアムでの中京フライヤーズ戦の先発は、お前で行く」
「分かりました。任せてください!」
じっと目線を据え続けて真摯に話してくれた大地に対して、深く丁寧にお辞儀をしてみせた。菅浪翔也はまだ死んでいない。起爆剤として再び蘇るのだ。そう、あの舞台へと。輝かしい成績だけが置き沙汰にされた、一軍という場所へ。そして舞い戻るのだ。技巧派投手というベールに包まれた、新たな自分を解き放つ為に。
その証明を果たす為に与えてくれたことへの敬意を込めて、ありがとうございますと、両手の拳を握りしめながら、はっきりと強い口調で言い切った。


第一章 完