個別記事閲覧 Re: 2013年 1位とおもわれるチーム 名前:ナナシ日時: 2012/11/29 03:03 修正5回 No. 11
      
近鉄ネタで盛り上がっているようなので。
近鉄時代の記憶に残る好ゲームをいくつか取り上げてみたいと思います。

・1979年の日本シリーズ第七戦
名将西本率いる“猛牛打線"で初優勝を果たした近鉄がカープ相手に3勝3敗で迎えた最終戦。
9回裏で4-3と1点ビハインドで追い詰められた近鉄。だが先頭打者の羽田が広島の守護神、江夏が投じた初球のストレートを狙い打ちセンター前へ。“江夏の21球"の幕開けである。
・1988年10月19日のダブルヘッダー
ダブルヘッダーのうち1試合でも勝てなければリーグ優勝は西武ーーという過酷な条件の下で繰り広げられたロッテとの両試合。
第一戦は今季限りで引退を表明した梨田が9回に値千金の代打タイムリーを放ち、望みを繋げる。
第二戦も近鉄がリードする展開になるが8回裏にリリーフに入ったエース阿波野が痛恨の同点本塁打を浴びてしまった結果ーー
・翌1989年10月12日のダブルヘッダー
上田オリックス、森西武、仰木近鉄、それぞれ名高い名将たちによって繰り広げられた三つ巴のペナントレース。奇しくも昨年同様、優勝争いはダブルヘッダーで雌雄を決することになった。
当時黄金期を築いた常勝西武との第一戦は、ブライアントが2打席連続HRを含む5打点を記録。
5対5のまま8回まで進み、打席には再びブライアント。
ここでリリーフに入ったのは(当時は髪の毛がフサフサで)ブライアントの天敵だった渡辺久信。
しかし、ここから近鉄が奇跡のドラマを巻き起こす。
・1999年9月30日、カズ山本の引退試合
近鉄、南海、ダイエー、近鉄と球団を転々とした苦労人、カズ山本。それでもチームの主力選手として活躍した。
86年、96年にはオールスターMVPに輝き、記録よりも記憶に残る選手として一世を風靡する。しかし衰えには勝てず、この年限り、42歳での引退がささやかれるようになる。
迎えたリーグ最終戦。相手は後に日本シリーズを制するチームでもある、古巣ダイエー。
一軍に昇格した山本はスタメンで起用され、最終回にこの日4回目の打席に足を踏み入れる。
相手は中継ぎながらシーズン14勝を挙げ、未だ無敗を誇る“勝利の方程式"の一角、篠原。
近鉄、さらにはダイエーファンからも声援を送られる中、山本が現役生活最後となる渾身の一振りを繰り出した。