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ロックされています  ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前: スコットランド学派  日時: 2017/06/02 17:42 修正3回   
      
 さて、不定期に俺がレスを書き込む新しいスレッドを立ち上げるぞ。

 ※本スレッドと、これからの「ごらく部」との使い分けについて

 端的に言うと、ごらく部は、これからも企画の運営を不定期に行いますが、その他の私の投稿はもっぱら文学創作系のみといたします。

 それに対して、本スレッドは、哲学系と政治系、その他のメモ書き専用といたします。

 尚、ご意見やご感想はどうぞ。誹謗中傷をしない範囲内で。
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/09/18 17:22 修正3回 No. 11    
       
 来月、衆院が解散か……。

 これは、野党にとってはまたとない良い話だ。

 森友、加計問題の頃から民進党などの野党は解散を望んでいただろうと俺は思う。

 選挙となれば、与野党各々は勝つ意気込みで戦えばいい。

 その結果、どのようになるであろうか。

 俺は何もわからない。

 各政党は、どのような結果が生まれても文句は言えぬ。

 ところで、俺は始まるかもしれないこの選挙では、日本維新の会が勝ってほしいと思う。

 40〜50議席は獲る意気込みでいて欲しい。かなり難しい数字だけれども。

 その上で、俺は安倍政権・自民党を支持していこうと思う。

 ただし……、民進党の前原代表はこのようなことを述べている。

 前原「北朝鮮問題等で日本の安全が脅かされている中、『政治空白』を作るつもりなのか。まさに『自己保身解散』である」という内容のことを。これはこれで、俺は大いに理解する。

 だが、今よりも前から北朝鮮は日本の脅威であり続けてきた。そのような中でも我が日本では、与野党共々によってくだらない政局が散々繰り返されてきた。政治家たちの税金の無駄遣いである。だから、「政治空白」という言葉は当てはまらない。

 無論、「森・加計隠し選挙」「自己保身解散」というレッテルも当てはまらない。もともと、野党も解散を望んでいただろうに。彼らにとっては勢力挽回のためのいい話だと俺は思うんだが。安倍内閣支持率が回復傾向にあるだけに、代議士たちは権力闘争のしがいがあろう。与野党共々、勝手に戦っているべし。一国民である俺は、何もなければ選挙日に投票するだけだ。

 ……、ただ……、北に誘拐された拉致被害者の皆さんのことを、誰もが忘れるべきではない。

 被害者は日本人だけではない。世界中から北は、人をさらってきたのだ。

 これだけは忘れるべきではない。
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/09/29 15:56 修正5回 No. 15    
       
 以下の雑記を即興でしたためる。

 【題】有限と滅亡、そして発展について

 インターネットやテレビ、新聞等のニュースで報じられている通り、民進党は、滅んだ。我が日本に二大政党制を根付かせようと意気込んでいた政党であったが、離合集散の末に、短命で消えた。その旧民進党の代議士たちは、生まれたての「希望の党」に、希望を寄せる。その結果、情け容赦ないふるいにかけられることになる。彼らの多くには、何の希望もない。「絶望」があるのみである。

 さて、そのような政界の動きを私は自分なりに見てきているが、非常に虚しい思いがよぎってならない。何故ならば、私が今まで支持してきた政党が、「たった一つの例外を除いて」軒並み滅んでしまったからだ。国民新党、維新の党、そして民進党……。皆、滅んだ。けれども、自民党だけはいまだに滅んでいない。

 もし、私のジンクスがこれからも続くのならば。もし私が「希望の党」を支持することにしたら、その党も滅んでしまうのだろうか。ところで、私は今、十何年ぶりに自民党を支持しているが、その党も、いずれ滅ぶのだろうか。

 私がこれまで積み上げてきた経験と学びから憶測すれば、次のことが言えるだろう。

 「諸行無常」。この世に滅びないものはない。

 この考えに対して、反駁を試みたい人に対して、私は次のような反論を試みる。

 平安時代の末期に一時代を築き上げた「平家」は果たしてどのような末路を辿ったか。

 ロックフェラー財団や、ロスチャイルド家の財産は永遠に尽きないのか。

 読売巨人軍やニューヨーク・ヤンキースは永遠に不滅か。

 ……、申し上げよう。平家は、夢のような栄華の末、最後は見苦しいまでに源氏に滅ぼされた。

 ロックフェラーやロスチャイルドの財産は永遠ではない。金はいつか擦り切れるか、もしくは何らかの禍(わざわい)で一瞬のうちに消えることになるだろう。

 読売巨人軍やヤンキースも、徐々に滅び始めている。

 ……、以上に挙げたこれらは、ある程度の年月を経て、人々の記憶からも風化し、ともすれば、記録からも消えることになるのやもしれない。

 以下に続く。

 
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/09/29 16:34 修正4回 No. 16    
       
 >>15 の続き

 もしこのことに関して反駁をしたいだけならば、いくらでも自由にそれは出来る。けれども、地球にさえも、寿命というものがあるのだ……。

 ところで、私は今現在、自分の哲学を構築している最中である。ある人々は、その私の哲学について、次のような意見を述べているようである。

「彼の哲学は人間や物事に対して、リミット(限界)を設定している。夢がない。我々人間や我々が創造する物事には無限の可能性が秘められているのだ」

 確かにその通りである。自らに「極限」を設けて、夢やそれに基づく創造を放棄する人間ほどつまらない者はない。そもそも、私の哲学のことを「有限を認める粗末な思想」と切り捨てること自体、大変な誤解に基づいていることは述べておく必要がある。私にだって夢がある。自らの力でもって成し遂げようという思いがある。人間は自らに対して限りを設けてしまったら、その後の発展はなくなるだろう。そう。人間や、その社会、その他の物事は「諸行無常」の範囲内で、絶えず発展してきたのだから。個々の物事、生き物はしかし、有限の存在なのである。

 ただし、そのような物事のなかでは、一つや二つ、無限なるものがあると思う。

 一つは、「時間(というそのもの)」であり、

 もう一つは、「有限が無限に続くこと」

 である。

 尚、ここで挙げた「時間」というものは「概念」としての時間ではない。概念とは人間が想起するものである。人類が滅亡したならば、その彼らが想起した「時間という概念」は存在する意味がなくなる。私がここに述べたところの時間というのは「永遠になくなることはない『モノ』という例外」なのである。

 ……、けれども、人それぞれが持つ時間というものは、概念であるが故、無論有限なるものである。その上で、「時間というそのもの」というものは無限に存在する。

 無限なるモノである時間というものは、「森羅万象によって受け継がれるバトン」であると思う。森羅万象、つまり宇宙というものは、この先の歴史の中でどのような変化をするのかは分からないが、有限なるものたちが古の昔から今、そして未来へ向けてバトンを受け継いでいくように永遠に続くであろう。それこそが「有限が無限に続くこと」であると私は考えている。

 続く。

 
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/09/29 16:47 修正3回 No. 17    
       
 勿論、これからの科学の発展次第では、宇宙・森羅万象でさえも有限なる存在であるということが、我々一般の人々の常識になりうることも考えておく必要があるだろう。ただし、現在においては、それは現実味がない。

 我々人類は、有限なる存在として、知らず知らずのうちに次の世に生きる者たちにバトンを渡している。それが、森羅万象が続く限り無限に続いてゆく。有限なる個々の人やモノ等が滅びゆく中で。

 我々は無意識のうちに、有限と無限の中で日々命を営んでいる。それが、「宇宙・森羅万象が無限に発展する構図」であるといえるだろう。

 終
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/10/01 09:19 修正1回 No. 18    
       
 おはよう!

 さて、十月になったな。

 予告通り、ちょっとした哲学の雑記をしたためるぞ。

 あまり難しい内容ではないから、大丈夫。

 【題】「学術における、ファイター氏にとっての耳の痛い話」

 俺はここ最近、、哲学者であるパースが著した論文集である「連続性の哲学」という本を読んでいる。

 この本には、学術におけるためになることが沢山書いてあるぞ。

 でだ……、その論文には知性や科学の発展を阻害する「有害な思想の四つの形態」というものが挙げられている。

 全部、抜粋するぞ(出典・岩波文庫「連続性の哲学」)。

 第一形態「絶対的な断言」

 第二形態「いくつかの事柄は絶対に不可知であると主張すること」

 第三形態「科学におけるあれこれの要素が根本的かつ究極的であり、他のものから独立であって、それ以上の説明を寄せ付けない −われわれの知識に何か欠陥があるからというよりも、それ以上に基礎的なものは何もないから− と主張すること」

 第四形態「あれこれの法則や真理が、最終的で完全な定式化を与えられていると主張すること、とくに、自然の通常の法則的運行は決して破られることがない、と主張すること」

 ……、以上の四つは……、俺も学問を行う中でよくよく注意しているつもりではいる。

 けれども、にわかに図星に思えてならないんだよな〜……。

 特に俺が図星に思えるものは、第一形態と第四形態の方だ。

 俺は、例えば、哲学を学んでいる中で、哲学には絶対的な答えがないものだ、ということを日々心に念じているつもりだ。が、時々「この考え方は真理に違いない」と考えてしまうふしがあることも事実。耳が痛い。

 もっとも、第一から第四までの形態は全て、俺にとっては耳の痛い話であると思うし、その他多くの科学、または哲学の徒にとってだ。何か、心当たりがあるのかもしれない。

 我々学問の徒は、謙虚にならなければだめなんだね……。

 本当に耳が痛いと思えてならないわ。

 以上。

 終

 
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/10/06 12:52 修正3回 No. 19    
       
 諸行無常、諸行無常……、!

 そうか……。

 もし諸行無常という言葉が正しいのならば、それさえも「無常」に出来るかもしれない。

 「衰退」というものを「形あるものの一つ」と考えることが出来るのならば、「諸行無常」に照らし合わせて、「衰退を衰退」させればいい。

 諸行の無常は尚のこと、無常でありうる。

 諸行無常も諸行であるといえるから。

 これぞ、逆転の発想。

 諸行無常という言葉を額面通りに受け取ってしまう組織は、本当に滅びる。無常となる。

 ……、ただ、以上の理屈は、「クレタ人は嘘つき」という言葉が示す考え方と同じ道程を辿ることになるが、それはそれだろう。

 例えば、衰退著しい組織には、この逆転した発想を持つのが相応しい。

 千葉ロッテマリーンズやヤクルトスワローズは今年苦しかったし、同様にして、巨人軍も初めてクライマックスシリーズ進出を逃した。

 何事も、思考停止することはいけないものなのだなぁw
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/10/12 20:30 修正1回 No. 20    
       
 日本の国会にて。川柳風。

 国会(こっかい)で

 議論(ぎろん)されるは

 森(もり)加計(かけ)ばかり

 今回の選挙後の国会でもこんな感じのが続くんだろうか、嘆かわしい。

 政治家には、政策の議論をして欲しいと思う。

 政治の停滞の原因は誰にあるのか。

 全ての政治家は、今日も自分の首をつなげるのに必死である。

 全ての代議士には、森・加計を議論するよりは、当たり前の仕事をしてほしいと思う。

 例えば、外交防衛委員会という場で加計問題。嘆かわしい。

 更に。川柳風。

 政治家(せいじか)は

 政局(せいきょく)やらずに

 政治(せいじ)しろ

 ……、この川柳は何年か前に一度載せたなぁ。

 少なくとも、同じ内容だと思う。

 
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/10/15 20:52 修正1回 No. 21    
       
 さてと……。

 ちょいと、振り返ってみるか……。

 2015年だったか。

 例の安保関連法が成った年の暮れ、俺は政治を考えるのに嫌気がさし、しばらくそれから離れた。

 しかし、民進党が成ったのを機に、試しと様子見を兼ねて支持してみようと思ったので、俺は政治を観に戻ってきた。

 ただ、その民進党も長くは続かなかったな。

 その前に、長島氏の民進党離党を機に、俺はその党の支持をやめ、十何年ぶりに自民党を支持するようになった。

 そして、今回の衆院選。

 ……、紆余曲折、だな……。

 俺は、今まで政局はよく観てきたが、政治を観たことは、あまりないと思う。いや、本当に、政治を観たことは少ないと思うな……。ただのテレビ画面越しから見えた世界に過ぎないが……。

 そうだ、そうならば、政治とは経世済民という意味なので、「経済」を観たことも、あまりないような気がする。

 ……、!?

 そもそも、政治とは何なのだろうか。

 古今東西の世で、人々にままに見えている政治が、それの「真の姿」なのだろうか。

 あくまでも、政治の理想は「経済」、つまり「経世済民」だ。世を経(おさ)め、民を済(すく)う。

 ……、空しきかな。虚しきかな。

 故にやはり、消去法で、現政権を認めるしかないだろう、と、俺は思う。

 情けないことだが、安倍さんが、その他の政治家先生と比べてどれだけましな方なのかが、身に染みて分かる気がする……。

 あくまで、安倍さんが、「まし」なのだ……。

 ましなのだ……。

 
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/10/22 20:12  No. 22    
       
 天晴じゃっ!

 ここ5〜6年で俺の支持している政党が、今回は自民党じゃが、初めて勝ちおった!

 ……、まぁ、「蓋(けだ)しくも」、という思いも直前になって脳裏によぎったが、心配はなかったようじゃ。

 ただ、安倍政権は、これからが大変だ。

 以前よりも増して、心細かろうに。

 安倍晋三さんの心持にかかっておるな、これからは……!
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2017/12/16 06:57  No. 23    
       
 書きたいものが浮かんだな。

 即興で書くことになるだろう。

 政治とはまるっきり関係ない内容になる。

 ポケモンに関することが主題だ。

 小規模な論文になるだろう。

 ……、やはり、何らかの骨組みをノートにしたためてから書いたほうがいいかな。

 それにしても、暇がないだろうな。

 おそらく、早くとも、後期試験終了以後……。

 題「ポケットモンスターの生命倫理(仮)」
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイタースマホ  日時: 2018/01/01 19:32 修正1回 No. 24    
       
訂正しようかな。

俺のチャットのプロフに載っている公式

Σ2a±2f(x)

なんだが、どうやら、極限の任意記号は lim みたいなんだよな。Σじゃないようだよ。高校二年生の時の知識が空白だなぁ……。俺が体調不良になり始めた時だなぁ。

やれやれ、とんだ勘違いだよ。申し訳ない。

……、けれども、当プロフを訂正しようにも、大分前に何かの手違いで入力不可能になってしまってな。訂正出来ないんだわw

そうであるので、まずはこの場を借りて、次のように直しておこうと思う。

lim2a±2f(x)

以上です。

何はともあれ、間違いが分かって良かったわ。
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/01/08 13:16  No. 25    
       
 今日も俺の哲学のことで、ちょっと書くことがあるぞ。

 俺は数か月前に、11ページぐらいの小規模な哲学論文を書き上げた。その最後の部分は、俺のチャットのプロフィールに載せておいてある「人間各々における『意志』と『極限多面体的パーソナリティ』としての心象世界」を少々加筆修正した焼き直しである。

 で、プロフィールの最後の部分に書かれてある「スーパーコンピューターを使用することを〜」の部分は、論文の方では「全文削除」(かぎかっこは強調)しておいてある。

 ……、人の心の多面性、そして人類の心の多様性の概念を示すのにスパコンの必要性を言及する必要はないと思ったからだ。

 さてと。

 最近、テレビ等のメディアに引っ張りだこである有名な予備校講師に林先生という人がいるが、その彼は「数学を勉強することが必要である」ことを論じている。俺は、その彼の意見に賛成だ。

 これからの時代は、人工知能がますます社会で活用されることだろう。そんな時代においては、人間たちにはますます、高等な知識を持つことが求められるだろうと思う。そのために、大学に入らなければならない。特に、数学の勉強を頑張る必要がある。

 俺は不安に思うことがある。……、いや、誰れもが不安に思っていることだろう。人類がコンピュータに支配される時代が来ることを。今でさえも、そのようなふしがある。俺もそうかもしれん。

 ……、だが待てよ。そもそもそのコンピュータを作ったのは、我々人間である。そんなコンピュータを作っているのもコンピュータであるという時代は来ているかもしれないが、そもそもは我々人間が生んだものである。

 基、人間は、コンピュータを道具として作り出したはずだ。その道具に、身も心も支配される日が来るかもしれないのだが。そのようにならないためにも、我々は勉強をしなければならない。特に、理系の学問は必須だ。

 ところで、俺は文系である。そんな俺は高校時代、数学の勉強に一番多くの時間を費やしてきたつもりだ。それも、とびぬけて。けれども、天性のものだろうか。全然芽が出なかった。たいして勉強していない文系の科目の成績はかなり良かったのだが。そうこうしているうちに、俺は、体調を崩して、高校数学の知識は数学U・Bを境に空白となったんだよ。

 以下に続くよ。

 
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/01/08 13:47 修正1回 No. 26    
       
 さて、ここいらで、公式 lim2a±2f(x) を考えついた理由を話そう。

 俺は中学生時代から、証券取引所の株価の変動の観察を日課としている。それは今まで一貫して変わっていないし、これからもそうであろうと思う。

 俺は常々思っていた。株価の変動は水物だな。人の心そのものだな、と。

 人間の心は、水のように、恒常的に変化し続ける。ほんの些細なきっかけでも、人の心は動く。株価の変動はそれを体現している。

 ……、そうか、その意味では、人の心は関数みたいだ。人の心には変数、変項があるんじゃないか。

 俺はそう思った瞬間に lim2a±2f(x) という公式を思いついた(尚、つい最近までは、勘違いもあり、limの代わりにΣという記号を用いていた)。

 AIよ、人の心の奥深さ、繊細さ、複雑さ、美しさ、醜悪さに追いつくことが出来ればやってみるがいい。

 ……、俺は、曲がりなりにも、このサイトのチャットのプロフィールに例の論述文を載せた。そして、論文も書き上げた。そのことに関しては、後悔をしていなければ、肯定もしていない。ただ、俺の「心の活力という自然」に従ったまでだ。

 学問の徒や表現者たちが、自らの心に基づく成果を発表することに、良いも悪いもない。それぞれの心を吐き出すことは、活力という自然を発揮することだ。そのことを、どうして肯定や否定を出来るのであろうか。つまり、諸生物の中で一番知性が発達している人間も、基、自然の一部であり、生き物であり、ありのままなのである。

 我々人間たちから表現の力が失われれば、その時点で、自然のその一部が死んだことを意味する。心が死んだことを意味する。理系にも、文系にも、画家にも共通することであろう。

 ……、人間たちは、自らの心を守るためにも、理系の知力が必要であると思うんだがなぁ。

 終
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/01/08 14:49  No. 27    
       
 おっと、締めにこれだけ書いておこう。

 「人間の心はなんとここまで、美しいまでに醜悪で、醜悪なまでに美しいのであろうか……!」

 これは俺が今思いついた言葉だよ。

 この言葉については、反論もあるだろう。

 今日はこれで終わり。
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/02/03 12:32 修正9回 No. 28    
       
 【題】ファイター・ドクトリンが提唱している哲学における、ある一つの用語を撤回することについて。

 私のチャットのプロフィールの一つである「ファイタードクトリンW」に書いてある論述文の中に、「人たるもの、自らがそもそも獣として〜……」という文言がある。ところで、その中にある「獣」という用語を使うことを、私は撤回したい。何故ならば、言葉の使い方、つまり、用語法的に適切ではないと思うからである。

 その上で、以下の事を述べたいと思う。

 ※そもそも、人間という「生物」は、他の諸生物とは違う「特別な存在ではない」。

 例えばである。チーターは獲物を捕らえるための、とても俊敏な脚力があるという「特徴」がある。鳥は、人間が使う小賢しい(言葉は悪いものの)道具を使うことなしに空を飛べるという「特徴」がある。タコには吸盤がある。巻きつくことが出来るし、魚は、人間が行うような訓練を必要とせずに水の中を泳ぐことが出来るという「特徴」がある。そして、我々人間は他の諸生物が持ち合わせていない、いわゆる「知性」というものを持っている、そのような「特徴」があるわけだが。結局のところ、それ以上でもそれ以下でもないに過ぎないのである。
 考えてみよう。人間は、何も道具を使うことなしにである。追いかけてくるチーターから逃げ切れるほどの脚力を持ち合わせているだろうか。飛行機なしに、鳥のように空を飛べるであろうか。サメと人間とでは、どちらが速く泳げるであろうか。自明の理である。

 次のような反駁があるだろう。

「人間は、他の生物には出来ないことが出来る。発明をすることが出来る。宇宙について思索をすることが出来る。これはまさに、至言である」と。

 しかし、私は、そのような反論に対して次のような意見を用意している。

「確かに、人間は数々の便利で、且つ、生活の上で価値のある発明をしてきたし、大宇宙について分析したり、思索にふけることができる。しかし、それらのことは、あくまでも人間の特徴である『知性を行使すること』の延長線上にある行動に過ぎない。それ以外の事で人間に出来る事は限られている。『人間は宇宙について考えることが出来るという意味では特別な存在である』という意味の、よくある言葉は、『ある意味において至言である』と思うに過ぎない」

 

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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/02/03 12:50  No. 29    
       
 人類は、自らが持つ「知性」を使って、今までどれほどの野蛮な行為をしてきたのであろうか。ウサギや亀には出来ない芸当である。人間以外の諸生物の方がよほど理性的に見えてくる。何故ならば、タコやハイエナは大量破壊兵器を作らないし、ナチスが行ったようなホロコーストも行わないからだ。貧富の格差も、少なくとも人間社会ほどではないであろう。

 かの天才のノイマン博士は、気が付けば大病を患った。そのことが原因で、彼の知能は嘆かわしいほどに低下した。そのような事実は隠すことは出来ない。

 ……、私は思う。人間は、自らを特別な存在だとして自惚れてはならない。もしそうなったら最後、「生物多様性」の世界は終焉を迎え始めるであろう。

 ところで、私は、私の理論である「人間各々における『意志』と『極限多面体的パーソナリティ』としての心象世界」を確固たる自らの考え方にしながらもである。あくまでも、「その範囲内で」、自らの哲学の考え方を「変更」あるいは「撤回」をちょくちょくしていくことになると思う。このことは、学問の徒としてとても大事なことなのであると、私は思うのである。

 今回はこれで締めとする。次回は打って変わってポケモンに関する随想をしたためる。当初はそれを論文として仕上げようと思っていたが、気が変わったわけである。

 終
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/02/23 14:47 修正3回 No. 30    
       
【野球戦略提言論文】より鉄壁守備陣形を志向していくための、基礎理論

20世紀を代表する自然科学者であるマッハは、世界とは、感覚的要素の関数的連関で成り立っていると考えていた(と、ファイター氏は解釈している)。そう、例えば、小鳥のせせらぎの音や音楽のメロディ、あるいはそれらを聴いて感じる人間の行為や感情も当てはまるかもしれない、と私は思っているが、要するに、世の中というものは数多ある要素同士全体による関わり合いで成り立っているのだろう。世界とは、感覚たちの共鳴によるものなのだ。それはまさに、関数のように。
 さらには、感覚というものがまず、この世界にあって、その比較的強い連関の一つが「自我」と呼ばれるものらしい。

 ……、以上のようなマッハ理論の私の解釈が正しいかどうかはさておきである。とにかく、世界の構成要素は関数的関わり合いである、という考え方はとても面白い。

 そうであるので。

 マッハ理論の内容に関わり合いがあるかどうかはともかくだが。

 簡素に申し上げよう。「関数記号論理計算式理論」は,野球に於ける守備力強化に結び付けることが出来ると,私は確信してやまない。特に,失策回避練習には打ってつけに思えるのだ。

 例えば、5・4・3とか6・4・3の併殺プレイ、もしくは、9・4・2という外野からの中継プレイから捕手に送球するプレイ、のような守備連携について考えてみる。それを関数的に表記してみると次のようになるだろう。

 Fxy

 更には、その後に蓋然的に起こる挟殺プレイを関数表記してみれば次のようになるだろう。

 Fxyz……、〜〜、……

 以下に続く。
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/02/23 15:24 修正1回 No. 31    
       
 一人の選手が、悪送球を含む守備エラーをせずに、しっかりとした守備を行った場合、数字の「1」を使う。一方、エラーをしてしまった場合は、数字の「2」を使う。その二つを、選手たちの守備プレイに応じて、それぞれの代数に代入する。

 さて、話を分かりやすくするために、 Fxy という関数表記を扱うとする。

 その上で。三人ともしっかりとした守備を成した場合は、三つの代数に植えられる数字が「1」だけになる。計算上は 1×1×1=1 となる。この計算結果「1」を、「完全守備値」と定義しよう。

 一方において。

 三人が悪送球や捕球ミスを、絵にかいたように連鎖してやらかした場合、必然的に 2×2×2=8 となるだろう。この計算結果「8」を、「完全失策値」と定義するとしよう。

 ところで、以下のように、巨人軍の守備陣を任意に設定する。

 捕手・岸田

 投手・大江

 一塁手・岡本

 二塁手・吉川尚

 三塁手・田中

 遊撃手・山本

 右翼手・長野
 
 中堅手・陽ダイカン

 左翼手・重信

 あくまでもイメージとして解釈されたい。

 ここからが、遊びの開始だ。ケースを一つだけ例示するとしよう。

 6・4・3併殺機会の場合

 まず、何の変哲もない、少々打球速度の速いショートゴロを山本が処理しようとする。しかし、その山本。何と盛大に打球を弾いてしまった。尚、その際、外野に転がることや、トンネル等々の蓋然性も考えられるが、ここではそれらを考慮に入れないとする。
 気を取り直して。山本がやらかしたボールを吉川尚がスーパープレイで処理し、何とか二塁走者をアウトにすることに成功する。けれども、ファインプレーは、数値としては考慮に入れず、ただ「1」と解釈する。さて、吉川は、一塁手である巨人の将来の四番と目される岡本に送球するが、彼の送球がやや低かったせいか、岡本はこれまた盛大に捕球し損なってしまった。ただし、その後のエラー処理守備プレイの過程計算は一切無視する。

 その結果、次のような計算結果が生まれるだろう。

 2×1×2=4

 以下に続く。

 

 
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/02/23 15:52 修正1回 No. 32    
       
 ところで、守備連携プレイの数値としては、無論の事。「1」であるほうが、理想的であるし、又は当たり前でもある。妥当性もある。そうであるので、計算結果が「2」以上になってしまうプレイ結果が出てしまえば、試合後にはミーティングでしっかり反省し、ノックや守備連携練習を行うことが必要となるだろう。

 終

 備考「守備連携プレイの際に起こる、選手個々人の思考の関数的・乱数的変化について」

 さて、ここまでは、野球の守備プレイの様子を関数式を使って抽象的に理論表現をしてみた。ここからは、ややこしい理屈をこねることになる。

 野球に限らず、サッカーにしろ、ラグビーにしろ、あるいは個人技である卓球にしろ、情熱的かつ、冷静な判断力によるプレイが必須となってくる。それこそが、選手たちの格付けを決めることになろう。けれども、どのような素晴らしいスポーツ選手であっても、たまにはうっかりしたり、気が動転することもあるものである。それがミスにつながり、更には失点へと、それこそ関数的な連関、連鎖が起こるのである。

 野球の守備プレイを例に考えてみよう。

 例えば、9・4・2という中継プレイの過程を考えてみよう。

 右翼手から、何の変哲もない、ストライク送球が二塁手へと放たれたとする。ところが、二塁手が、試合中に何故か、どのような理由からか、「心ここにあらず」の状態となっていることが蓋しくも起こるだろう。その二塁手、捕球タイミング直前になると、絶対に「あっ!」と思うはずである。その際であっても冷静沈着に捕球を行い、捕手へとバックホーム出来れば大したものである。けれども、動揺してエラーしてしまうことも勿論のこと。考えられるはずだ。

 以上の過程を、関数的連関的思考で論じてみる。扱う関数式は、説明を簡単にするために、ただ F(x)を使うとする。尚、最初の思考判断の値をF、その後の思考判断の値をxとする。

 二塁手が、気を動転させるにしろ、瞬時に冷静に守備を行うにしろ、その思考においては、乱数的なパターンが生まれると私は思う。その様は、個人や、彼を取り巻く環境等の場合によって「不定」なものであるだろうし、その後の思考の連鎖においてもやはり、乱数的な思考の世界が脳内で常々発生することになるだろう。

 以下に続く。
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ロックされています   Re: ちょっと思うことがあるので 〜メモ書き〜  名前:ファイター・ドクトリン  日時: 2018/02/23 16:14 修正2回 No. 33    
       
 そのような思考過程により、選手の体の動き、すなわち、プレイの結果は、乱数と乱数による関数的乗数という形で表れると考えることも出来るのやもしれない。この関数的乱数計算というものは、きわめて抽象的な世界を構築する。具体的な数字を使って表そうにも、キリが無くなるのが落ちであろう。

 ……、スポーツに限らずとも、人間個々人による思考過程は極めて複雑なものである。ある人はこう反発するかもしれない。

 人間の心は、貴方が考えるほど複雑なものではなく、案外単純な世界が広がっている。事実、貴方は、「人間の複雑な思考過程」を「抽象的な数式」で「単純化」しているではないか。

 以上の意見に対して、私は以下のように反駁する。

 人間の思考世界が複雑であるからこそ、それを探究し続けるために抽象化という理論化努力が必要なのだ。もし、世の中(特に、いわゆる「文明世界」)から「定義」や「定式」というものが除かれてしまったのならば、世界(すなわち、宇宙)にたびたび起こる現象について、何ら思索や究明を行うことが出来なくなってしまう。そのようなことが成ってしまったときは、人間たちが学問を無用の長物として捨て去った時であろう。

 私は思う。関数ほどの、学問の世界におけるファンタジーは他にはない。ファンタジーには夢がある。文学性・芸術性がある。人間の思考が可能である限りの極限的な広がりを見せる。

 ただし、一方において。関数と呼ばれるものほど、人間を疲れさせるものはない。思考を複雑に、広く広く極限に近づけさせればさせるほど、キリが無くなる。蓋しくも、めげて放棄してしまいたくもなる。

 ……、それでもである。人間世界……、いや、森羅万象は複雑である。それ故、深い。面白い。飽きない。学問は、それについて思索するために存在するものでなけれなならないと、私は思う次第である。

 終
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