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ノベルズ=クリムゾン 第二部
名前:
スコットランド学派
日時: 2016/12/14 17:10 修正5回
このスレッドは,主に2017年・二月に執筆を開始する予定である「イーグルスの星・第二部」を投稿するためのスレッドです。
お楽しみに。
鍵を開きました。第二部が始まります。
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Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/04/04 19:13
No. 39
正は,黙って,うん,うん,とうなずいて話を聞くのみ。吉良の話は続く。
「ところで,正。俺がどちらかの仕事に専念すべきであれば,どちらがいいと思う? ……,勿論,俺はどちらもやめたくない。しかし……,不正をやるのはとても,とてもつらくもあった。それで,秀行にも,お前にも,死んだ母さんにも,今まで悲しい思いをさせてしまったな……,本当にすまん!」
吉良は頭を下げた。
「父さん……」
正の心に突き刺さる。正はもの心がついたころから,内心,父の事を哀れに思っていた。嫌悪の気持ちも正直あったが,それを押し殺していた。けれども,目の前にいる父のこの姿は,今まで見たことがない。家族に頭を下げる父など……。
正は,少し目をつむり,黙考。そして……。
「父さん……」
「何だ?」
目の前の吉良は,頭を上げる。正は続ける。
「僕は,父さんのその言葉を聞いただけでも,とても嬉しいよ……」
正の目には,うっすらと涙が。続ける。
「父さん,確かに不正はやってはいけないことだよ。でも,お父さんは,僕と兄さんのために,決めようとしているんだね。……,仕事はどちらかに専念すべきだよ。土建屋でも,役場の仕事でも,どっちでもいいんじゃない? もし万が一,お父さんの仕事が行き詰まってきたら,その分,いや,何倍も僕と兄さんが稼いでみせるさ。だって,僕と兄さんは……,プロ野球選手になったんだもの!」
向かいの吉良の目も,潤み始めている。正は腕で,涙を拭う。吉良も。
「だから……」
と,言いかけたその時。
「ありがとう……!」
吉良の声は,ふるふる,震えていた。嗚咽(おえつ)も混じって。
「いいんだよ,お父さん。あと,たぶんだけど。兄さんも,内心,お父さんのことを心配していると思うよ。ずっと前からね。僕は分かるんだよ。何年も兄さんの捕手をやっているからね……」
以降の話は割愛させていただく。ただし,これだけは言える。初めて,晩餐がこんなにも温かくなったのだ。数日後,ロードワーク中に,正は秀行にそのことを明かす。秀行の大変安堵した表情が,正の心に刻まれたのだった。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/04/04 19:17
No. 40
第四十五章はこれで終わりです。
お読みいただき、ありがとうございました。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/05/14 15:27
No. 41
第四十六章「巨人軍春季キャンプ篇」第一話
二月初旬の某日のこと。サンマリンスタジアムでは,巨人軍の春季キャンプが行われている。宮崎は南国であるが,冷たい風がヤシの木の葉を揺らす。勿論の事,選手たちはしっかりと防寒をしている。
午前の11時頃。打者たちは,フリーバッティングに勤しんでいる。その最中に,快音を響かせながら広い,広い球場であるサンマリンのスタンドに,広角に打球をぶち込み続ける一人の若手打者が。その彼は二年目の一塁手。高校生の頃から,今は楽天イーグルスの投手である真上秀行のライバルとして甲子園を盛り上げてきたスター選手。名前は横田真司(よこた・しんじ)という。横田は,力感が程よく抜けたフォームで,バッティングピッチャーが放るボールをしっかりと引き付けて,シャープなスイングで打ち返す。おぉ,今度はバックスクリーンに強烈なライナーが突き刺さったではないか。横田は,それを確認してからニヤリと。
「今年の僕は,一味違うぞ!」
自信に満ち溢れている。陣取っている報道の者たちは,その横田の一挙手一投足に注目し,フラッシュを浴びせているのも,横田にとっては快いことこの上ない。もっとも,ルーキーイヤーであった昨年も注目は浴びていたのだが。巨人は,相思相愛の関係を築いていた秀行の指名を,掌を返したように回避して横田を獲得したのだから。当然の事,球団だけにではなく,横田への世論からの風当たりは強いものとなった。彼が感じたプレッシャーは相当のもの。巨人はリーグ優勝と,クライマックスシリーズ制覇を成し遂げたものの,今は大リーガーとなった田中将大を擁するイーグルスに日本シリーズで惜敗。三振を喫して最後の打者となった横田のそのシーズンは,お世辞にも芳しいものとは言えなかった。高卒ルーキーにしては,二けた本塁打を達成することは出来たものの,打率は二割五分にも満たず。ついた二つ名は「三振王子」。悲しい話である。
そうであるので,横田にはいつも「三振王子」という蔑称が脳裏によぎる。それが彼を奮い立たせる。
「僕は三振王子ではない……,巨人の四番に,ホームラン王になる男だ!」
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/05/14 15:34
No. 42
横田はつい,ぼそっとつぶやいてしまった。眼光も鋭くなる。バッティングピッチャーが,最後の一球を投げた。猛々しいスイングで打ち返す。轟音が鳴り響いた。横田は打球の行方を確認する。強烈に引っ張られたその打球は,レフトスタンドの最上段に突き刺さった。横田は周囲を見回してみる。ベンチにいるコーチや選手たち,報道陣がどよめいている。原タワーを確認する。原監督は無言でうなずいている。真剣なまなざしだ。横田は改めて思い,またつぶやく。
「僕は三振王子ではない。巨人軍の偉大なスラッガーだ……!」
オフシーズンの頃には,阿部慎之助に弟子入りもした。死に物狂いで技術と心を磨き,体を鍛えてきた。今の横田の眼には,力がみなぎっている……。
横田はフリーバッティングを終えると,ベンチ裏に下がり,暫し休憩。
「やれやれ,自販機でアクエリアスでも買おうか……」
自販機のところまで歩を進める。すると……。
「ん?」
横田の目つきが険しくなった。何故ならば。向こうから歩いてきた相手が相手だからだ。ヅカヅカ! と横柄な足取りのその男は,巨人軍の左のエース。球界の不良。井本大助(いもと・だいすけ)である。どうやら彼も,自販機で飲み物を買うようである。横田に気付いている様だ。嫌味な笑みを浮かべているのがすぐに分かる。横田は井本のそんなところも大嫌いだ。横田は自販機に着く。それとほぼ同時に井本も。目の前にいる彼は,「どけ!」と言わんばかりのしぐさをしている。横田は少し考える。譲ることにした。
「どうぞ」
そんな横田に対して,井本は開口一番にこう。
「退くのがおせぇんだよ,横田ぁ〜!!」
肩で突き飛ばされてしまった。ムッとせざるを得ない。怒りが沸々としてくる。けれども,ここは我慢。少し奥に下がり,井本が買い終わるまで,待つ。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/05/23 19:27
No. 43
その最中である。
ヅカヅカヅカ……
またしても,横柄な足取りの者がこちらに向かってきているようである。嫌な足音だ。横田は,誰が向かってきているのかは想像できる。そして。それは,井本も同じであるだろうと。横田はチラッと顔を向けてみる。
「あぁ〜……,やっぱり」
思わず,そうつぶやいたその刹那。井本が大はしゃぎし始めた。
「おぉ〜,心の友,嫌名じゃないか!!」
楽天イーグルスから無償トレードで入団してきた嫌名八津夫(いやな・やつお)のことである。
「そういうアンタも俺の心の友,井本ちゃんじゃねぇか!」
井本と同様にはしゃぎだした嫌名は,小走りしてこちらに来た。そして,井本と嫌名は,「友情の証」だろうか,お互い抱き合って背中をバンバンと叩き合っているではないか。横田は正直に思う。ドン引きするほどである,と。そして,井本は購入した麦茶を手に取ると,そのまま嫌名と二人でゲラゲラしながら向こうに消えていった。……,今この時,皆が必死に練習しているにも関わらず,どこに向かっていったかは定かではないが。ところで。去り際の嫌名に後ろ指を指され,井本もニヤニヤしていた。歯を食いしばってしまう。
「……,グラウンドに戻ろうか」
横田のはらわたは煮えくり返っているが,そんなことでズルズルと引きずったままでは,高校時代からのライバルである真上秀行に顔見せできないと,自覚している。心を忍びつつ,歩を進めようとした,その刹那。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/05/23 19:29
No. 44
「おい,横田。何か買い忘れてねぇかい?」
すぐ後ろからダミダミした声が聞こえてきたが,驚きはしない。横田は振り向いて,その彼に声をかける。
「……,相変わらず神出鬼没ですね。作並さん」
「おうよ。球界一の暴投防ぎの名手で巨人のスーパーサブ・キャッチャー,作並信(さくなみ・しん)とは俺の事よ」
横田の目には,ニヤッとする作並の顔が映る。
「……,そのセリフは聞き飽きましたよ,作並さん……」
「ぼりぼり頭をかいて仕方なさそうな表情つくるな」
「作並さん。それこそまさに,仕方がないことですよ……,あ,ところで」
「なんだい,横田」
「作並さん,今年で何歳になるんでしたっけ?」
「ちゃっかりしているな〜,俺は先月にもう三十一歳になっちまったんだぜ」
「おめでとうございます」
「からかうんじゃねぇよ! 成長期のお前とは違って,これから俺は衰えていくんだよ! 一軍に定着したこともねぇのに……」
作並はちょっと怒ったようだ。胸のあたりをどついてくる。だが,作並にそれをされるのはあながち嫌ではない。
横田は,今度こそ緑茶を買うと,作並と共に傍にあるベンチに座った。ところで。それにしても,と横田は思う。作並は小太りであると。本人にはそのことは,口が裂けても言うつもりはないけれども。
横田は,作並と共に世間話を始める。とはいっても。今期に入団してきたルーキーたちはレベルが高い,とか。外国人選手たちの今のところの仕上がり具合がどう,とか。まだまだ巨人は阿部のチームであるようだ,とか。そのようなチーム内についての話が主である。
「……,なるほど。けれども。周りがどうであれ,今シーズンは僕にとって正念場であることは確かであると思います。活躍しなければならないんです。その上で,僕は原監督を日本一の監督にしたい。作並さん,頑張っていきましょう!」
「おぉ,その顔つきと言葉には力がみなぎっているなぁ,横田。頑張っていこうじゃないか!」
隣に座る作並はニヤッとしながら,横田の肩をポンッと叩いた。そんな彼が頼もしいと,横田は思う。そのような時である。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/05/23 19:33 修正1回
No. 45
「あっ!」
「何だ,横田。慌てふためいたような顔をして」
作並は首を傾げている。疑問符が浮かんでいるような顔つきだ。
「作並さん,そんな顔をしている暇があるなら,そろそろ練習に戻らないと! いくら何でも休み過ぎです」
「……,おぉ,そうだな。では,俺も支度をしなければな」
セカセカし始める作並である。
二人はベンチ裏からグラウンドにでる。そろそろケースバッティング練習を始めるころだろうか。皆は,そのための準備を始めている。ところで,井本と嫌名はその場にはいない。二人は一体何をやっているんだろうか。それが頭に引っかかる横田である。少し考え込む。そんな自分に。
「なぁ〜に考え込んでいるんだ、横田」
作並がニヤニヤしながら話かけてきた。
「あっ,いえ,あの,その……」
「何動揺してんだ」
「すみません……」
「恐縮すんな! ……,さては,お前……」
「何でしょう」
「井本と嫌名が,今この時に何やってんのか,気にしてんだろ?」
勘のいい作並であると思う。まだニヤニヤしている。
「……,はい。確かにそうですけれど……」
すると作並は,少し真面目な顔になって両手を横田の両肩にポンッと置いた。作並は続ける。
「今日の練習を終えたら,俺の部屋に来い。俺が知りうる範囲で話してやる」
「知りうる範囲で……?」
「そうだ。巨人で一番の情報屋の俺を甘く見るな。とにかく,晩飯を終えたら,俺の部屋に来い。かまぼこをご馳走してやっからよ!」
かまぼこが好物である作並は,ニコニコしながら再度両手を横田の肩にポンッとすると,そのまま先にグラウンドに出る。ファースト・ミットを持ちながら。ちなみに,作並のサブポジションはファーストである。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/05/23 19:38
No. 46
第四十六章はこれで終わりです。
お読みいただき、ありがとうございました。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/06/18 20:11
No. 47
第四十七章「巨人軍春季キャンプ篇」第二話
横田は夕食を終えた。今は作並の部屋へと向かっている。ツカツカツカ……,と足早に歩を進めながら。そんな中で,横田は思いを巡らす。もしかしたら,井本さんと嫌名さんは二人で……,まっ,まさか……! ……,いやいや,いくら何でもそれはないな。という感じで。
作並の部屋の前に着いた。ドアをノックする。トントン。
「おう,来たか。入ってこい!」
この作並のだみ声を聞くのは,横田にとってはもう馴染みの一つとなっている。何故か,癒されるのだ。
「失礼します」
ドアを開ける。部屋の真ん中にはちゃぶ台。のちに知ることになるが,これは作並が好みで持ってきているものであるらしい。その上には,大きな皿に沢山盛られている笹かまぼこ。ところで,ちゃぶ台を囲む形で,作並と……,そして,何故か。知らない誰かが座っている。その彼は今,笹かまぼこをご馳走になっている様だ。
作並は横田を見るなりニヤニヤして,手で「来い来い」と合図する。
「横田,美味しい笹かまぼこがたんまりあるぞ。まぁ,ゆっくりしていけや!」
「ありがとうございます。いただきます!」
横田は作並らと共にちゃぶ台を囲む形で胡坐をかく。そして,さっそくいただく。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/06/18 20:13
No. 48
「……! とても美味いです!」
「そうだろう,感激するほどおいしいだろう。宮城県産だ!」
「確か,作並さんは宮城県出身ですよね」
「あぁ。まぁ〜,そうなんだが。県南の方の出なんだよ。白石生まれの白石育ちさ!」
「あぁ,白石と言えば,『白石温麺』で有名ですよね。僕,去年の楽天との交流戦の際に,それを自分へのお土産として買いましたよ。それもなかなか美味しかったですよ!」
「ウキウキしながら思い出話すんな! 俺はその頃二軍でくすぶってたんだよ!」
「作並さんこそ,ちゃぶ台に何度もこぶしを叩きつけながら怒るのは止めたほうがいいですよっ!」
「先輩をからかうんじゃねぇよ,悲しくなるじゃねぇか!」
横田は思う。自分は本当に作並とは仲良しであると。そして。
「ところで……」
「かしこまった顔をする必要はねぇぞ。あの件だろ?」
「はい」
「よし,じゃあ,長い話になるが。いいか?」
「作並さんこそ,かしこまってますよ?」
「……,あぁ,まぁ,いいわ。お前のからかいには,今もう慣れてしまったわ。じゃあ,順番に話していくぞ……」
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/06/18 20:16
No. 49
作並の話をまとめるとこうである。
結論から言うと,井本と嫌名は,共に秘密特訓をしているらしい。勿論,報道陣はおろか,巨人の大概の選手たちにも知られないように。……,否。厳密にいえば,特訓の対象は嫌名の方で,井本が練習パートナーになることを進んで受け入れたようなのである。具体的に,どのような練習がなされているかは,作並にも分からない。ところで,その特訓には,ある人物がつきっきりで関わり,指導をしているらしい。その彼の名前は,「丸子英士(まるこ・えいじ)」という。今年で五十歳になる彼は,昨年の秋に,巨人軍の「特任育成コーチ」として招集された。アメリカマイナーリーグのとある球団でコーチを長年経験していた丸子は,その当時から選手の発掘や育成の手腕にかなり定評があったようである。巨人はその彼に目をつけて,雇ったのだ。嫌名が巨人にただ同然で入団してきたが,それは丸子が暗にその彼の隠れたポテンシャルにいち早く気付いたからだ。丸子曰く,「楽天は,こんな才能あふれる選手を長く干していたなんて,能天気にも程があるようだ。頭の中がお花畑だね」。巨人側によるただ買いの唯一の原因は,楽天イーグルスにあるよう。……,ところで。丸子は現役時代,旧近鉄球団で野手として長くプレイしていたが……。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/06/18 20:19
No. 50
「……,鳴かず飛ばず,だったんだってよ。以上でこの話は終わりだ。どうだ,くたびれたか?」
「ニヤニヤしながらそう言われなくても。退屈しませんでしたよ。もっとも,それを聞きたくて僕は来たのであって,作並さんも望んでいたでしょ」
「お前に真面目な顔してそう言われると,俺はいい後輩を持ったなぁ,と思うよ」
「作並さん,今,感慨にふけっていませんか?」
「あぁ,そうだ。からかい顔するな!」
そういう作並もニヤニヤ顔になる。
「ところで……」
「何だ,急にかしこまって藪から棒に」
「今の作並さんは何食わぬ顔でニヤニヤしてますけど……」
「うん」
「隣にいる人……,誰なんですか?」
「部外者じゃあねぇぞ」
「部外者にしか見えませんよ! 誰ですか,この人!」
「不法侵入者じゃねぇぞ」
「いや,どう見ても不法侵入者ですよ! 一体,誰なんですか!?」
作並の隣でその人物は,横田が確認する限りにおいては,相当長い間,黙々とただひたすら笹かまぼこを食べ続けている。無言で。表情一つ変えず。
「はっきり言って,不気味ですよ!」
「まぁまぁ,興奮すんな」
「しますよ!」
「こいつはれっきとした巨人の選手だぞ」
「知りませんよ,こんな人!」
「一年目から普通に支配下登録選手だぞ。一軍でも練習しているんだぞ」
「だから,知りませんってば。ニヤニヤしている作並さんまでもが不気味に見えますよ!」
そんなやり取りが行われている最中にも,その男はただ笹かまぼこを食ってるだけである。
「まぁまぁ,落ち着け……。じゃあ,こいつについても,ちょっと長い説明をすることになるが……」
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/06/18 20:22
No. 51
作並によると,こうである。
この男は本当に巨人の選手である。しかも,ちゃんとした背番号ももらっている。「68」だ。けれども,この選手は……,存在感が壊滅的に希薄なのである。ドラフトでは五位で指名されていたようだが,何故か,そのことに多くの人間は気づいていないのである。更には,ドラフトの翌日になると,スカウトまでもがその選手のことを忘れている始末。今では,作並の他,限られた人物しかその彼を知っていない。原監督はしっかりと認知している様だが。……,ところで。その選手の名前は,「空気之介(くう・きのすけ)」という。先月に二十六歳になったばかりらしい。横田にとっては先輩に当たる人物であるようだ。
「……,とまぁ,こんな話なんだが。色々あって,俺が世話を焼いてやっているんだよ。案外かわいいやつだぞ」
「けらけら笑いながらそう話されても……」
「ぞっとした顔すんな!」
そのような作並をよそに,気之介はただひたすらに食い続けている。
「なんで,多くの人には気づいてもらえないんでしょうね,気之介さんは。何だか,可哀そうですよ。いくら存在感が希薄であるとはいえ……」
「心配しなくてもいいぞ。俺が面倒見ているんだから。原監督にもちゃんと理解してもらっているし,お前にも認識してもらっている分,気之介は幸せもんだ!」
横田の目に心優しい表情の作並が映った。ところで,気之介はもうこの場にはいない。どうやらすでに立ち去ったようであるが,あいさつくらいはしたのだろうか。さっぱり分からない。……,ところで。空気之介のポジションは外野である。守備範囲が広く,堅実な打撃が売りであるらしいのだが,何故だろうか。気付いてもらえない。悲しい選手である。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/06/18 20:32
No. 52
翌日のこと。横田はこの日の午前中に行われたフリーバッティングでもさく越えの打球をバコバコ放った後,暫しロッカー裏のベンチで休憩を。自販機で麦茶を買い,飲む。
「今日の麦茶も美味いなぁ」
気持ちの良い練習の後の,更に気分がよくなる一服である。ひとしおとは暗にこのことを指すんだろうと,横田は思うのである。そのような時。
ノシノシノシ……
堂々とした足音が聞こえてくる。横田は,誰が来たかは大体察することが出来る。横田は立ち上がり,あいさつ。ハキハキとしなければならないと思う。
「阿部さん,お疲れ様です!」
そう。向こうからやってきたのは,巨人軍の精神的支柱である「阿部慎之助(あべ・しんのすけ)である。その阿部は,横田に気が付くと,軽く手を上げて快く返事をする。そして。
「よぉ。横田,今日も調子がいいようだな〜!」
「ありがとうございます」
大先輩に褒められた。正直な気持ち,嬉しい。
「ただ,『好事魔多し』だぞ。油断せずに気を引き締めて練習してくれ」
「ありがとうございます。頑張ります!」
いつも思う。大先輩からの激励を受けると,本当に励みになるものだ,と。
それからである。横田は阿部と共に雑談を始めた。世間話やら,チームの事情らや。広島カープは外国人選手の発掘がとても上手だ,とか。大概は野球の話に花が咲く。しばらく時間が経った。
「……,あっ,そろそろ練習に戻らないといけませんね」
「あたふたと急がなくてもいいと思うぞ。どっしりとしていろ。足者をすくわれるぞ」
いつも思う。阿部は堂々としていて,とても安定感がある,と。傍にいると安心できるのだ。
「そうですね……。僕は巨人の四番……,いや。日本の四番になるのが夢なんです。阿部さんから沢山吸収したいです。これからもよろしくお願いします!」
「意欲的でよろしい。なんでも聞け!」
目の前にいる阿部は,「ハハッ!」と笑いながら拳で横田の胸を「ドンッ!」と叩く。少々痛くて咳が出たが,気分はいいものである。そのような時。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/06/18 20:35
No. 53
ゲラゲラゲラ! ギャハハハッ!
遠く向こうから聞こえてくる。下品な笑い声だ。横田は思う。あの二人が来た。気分が悪くなる,と。阿部に目をやり,確認してみる。その阿部も,うん,と頷いている。
「あの二人,今日もわき目もふらずに横柄ですよね」
「そうだな。困ったもんだ……」
それから間もなくして,あの二人は横田らのそばまで来た。井本と嫌名である。二人は財布を取り出している。何か飲むのだろう。横田の腹は煮えくり返りそうだ。昨日のことがあるのだから,尚更。自然と睨み顔になる。井本と嫌名と目が合う。二人はこちらにガンをつけているようだ。正直なところ,つい怯んでしまう自分が情けない。が。間もなくして二人はそそくさと立ち去って行った……。横田は阿部と目を合わせる。阿部はうん,と頷く。その彼は深刻な表情だ。そして。
「俺がいたことで,お前は助かったぞ……」
「はい」
「お前,相当武者震いしたな」
「えぇ」
お互い,一呼吸。すると,阿部は横田の方に振り向いて,口を開いた。
「なぁ,横田」
「何でしょうか?」
目の前の阿部は,仕方なさそうに「フゥ……」と息を吐いたあとにこう続けた。
「嫌名はどうか知らんが,井本は,最初の頃はあんなのではなかったんだよ……」
「……,え!?」
「お前が目を丸くしてびっくりするのも仕方ないな。少々話は長くなる。だが,聞いておいてくれ……」
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/07/12 19:54
No. 54
阿部慎之助によると,事情はこうであるようだ。
第四十七章「阿部慎之助の回想」前篇
話は五年や六年前のある日のことまでに遡らなければならない。
五月の某日。昼前の事。当時,阿部慎之助は右太もものコンディション不良が原因で二軍に落ちていた。松葉づえを使う程ではなかったものの,大事をとったのである。その理由は推して知るべし。リハビリ練習の半ば,阿部は,半ばびっこを引きながら,ジャイアンツ球場のベンチ裏の廊下を歩く。
「やっぱり怪我ってのは,色々な意味で痛ぇよなぁ〜……」
苦虫を噛みながらのつぶやきである。致し方あるまい。
阿部は,水分補給をするため,麦茶を買おうと思う。自販機があるところまで移動しているのだ。その最中の事である。
「おや……?」
阿部はきょとんとしながら,立ち止まる。視線の先には,何やらペットボトルや缶の飲み物を大量に買い込んでいる一人の若い男がいるではないか。
「まさか……,我が巨人軍にはパシリでもいるってのか?」
気になったので,近づいてみる。そして,声をかけてみよう。
「お〜い,そこの。何沢山買い込んでいるんだい?」
気さくに話かけみたつもりであった。しかし。男は,その阿部を見るなり,途端にびくびく,びくびく……。挙動不審。阿部は正直に思う。自分は何か,こいつに悪いことでも言っただろうか。心配になるではないか,と。
ところで。話は前後するが,その若い男の容姿をここら辺で説明してみよう。まず,巨人のユニフォームを着ている。背番号は二けた。その時点で選手であることが分かる。しかし,一軍では見たことがないので,二軍暮らしをしている若手であろう。頭は丸坊主。野球選手としては細い体つきだ。背たけは野球選手としては中ぐらいだろう。目鼻立ちは良いほうだ。表情は弱弱しい。
話を戻そう。飲み物の何から何まで抱え込むその若手の様子は,阿部から見るに,相当不憫に思える。……,否。誰が見てもそのように思うであろう。もう一声,話かけてみることにした。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/07/12 19:57
No. 55
「お前,そんなに買い込んで……,どんな奴らに頼まれたんだ?」
すると。その若手は声を震わせながら。
「弱い……,弱い僕が悪いんです……」
そういうと,彼は立ち去ろうとする。そのような様子を見ると尚更心配してしまうではないか。呼び止めて,またもう一声かけなければ。
「おい!」
背中を見せている目の前の若手は,びくっ,とした後に立ち止まる。そして,こちらを振り向いた。やはり,怖気づいた表情をしている。可哀そうに。阿部は続ける。優しく問いかける。
「名前,お前の名前を教えてくれ……」
すると,その細見の若手は,ぼそっと。
「井本……,大助,です」
「ほう,ポジションは?」
「投手をやっています……」
「そうか……,野球の花形じゃないか〜!」
阿部はニコニコしながら,ポンポンと彼の肩を叩いた。そして,続けてみる。
「持つの,手伝うか?」
少し気遣ったつもりであった。しかし。井本と名乗る若手は,それを聞くや否やである。大粒の涙を流し始めたではないか。そして,ゆっくりと顔をそらすと,そのまま多くの飲み物を抱え込んだまま,テタクタと走り去ってしまった。呼び止める暇もなかった。阿部は,遠くなっていくその彼の背中を,立ち尽くしながら呆然……。そして。確信しながらつぶやく。
「あいつ,虐められてるに違いないな……」
身長よりも,彼は小さく見えた。阿部と井本が初めて出会った時の事である……。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/07/12 19:59
No. 56
翌日のこと。夕方。巨人の二軍はイースタンリーグ公式戦である千葉ロッテマリーンズとのジャイアンツ球場でのデイゲームを終えた。選手たちは着替えたあと,寮に帰るためにバスに乗り込むところ。列をなす。阿部の目の前には,偶然に井本がいる。そいつと,その彼の周りの様子をまじまじと見てみようと思う。
井本には,一部の選手たちから冷たい目線が向けられている様だった。せせら笑う声も聞こえてくる。井本のすぐ横にいる何某という選手は,スパイクのまま,その彼の足を踏みつけに。阿部は心の中でつぶやく。こいつ……,この俺がいるのを知っているくせに,よくもまぁ堂々とこんな真似を出来るもんだ,と。正直,はらわたが煮えくりかえる思いである。そいつの顔はよく知っている。話したこともある。しかし,そのようなことはどうでもいい。後でガツンと言ってやろう。
バスの中に入る。井本は,変わらずに一部の選手たちからせせら笑われている。彼は,すでに座っているようだ。隣の席が空いている。阿部は思う。ここは助けてやろう。彼に気さくに一声かけてみる。
「おう,井本! 隣いいか!?」
目の前の彼は,一瞬その阿部の声にびくついたようだが,小さくコクリと頷いた。阿部はそれをみて,続けてみる。
「そうか……,よっしゃ! じゃあ,移動中は,捕手である俺の目線から,今日のお前のピッチングの反省をしてみようか!」
この日の試合の先発投手は井本であった。六回を投げて三失点。試合は作れたと言える。球速はこの日の最速で141`程。球を受けていて,思ったことは色々ある。ストレートのノビは案外いいほうだ。スライダーの切れがいい。得意なのだろう。制球力はまずますか。スタミナはもう少しつける必要があるだろう。ピッチャー返しの処理は相当上手だな。まるで,桑田さんみたいだ。それと。しっかりと体を強くすれば,いいピッチャーになれる素質はあると思う。
それと。阿部の具合が悪かった右太ももは大分良くなってきている。だから,マスクをかぶって試合にでるのは,もう大丈夫なのだ。
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/07/12 20:02
No. 57
さて,次の日の夕時。試合後のこと。遠征先で,阿部は井本を焼肉の店に誘った。勿論,阿部が焼肉店の場所をネットで検索。ぬかりなし。その店は,昭和的なノスタルジーを感じさせる風情のある佇まいである。外観は適度に古ぼけている。それがいいと思う。
阿部は井本と共に入店すると,中の様子をサラッと観察してみる。夕方という時間帯もあってか,客はそれなりに多く入っている様だ。ジュージューと音がなっている。タレの匂いもする。食欲がそそられるではないか。中の様子も,庶民的な昭和の雰囲気。壁にはメニューがずらっとマジックペンで書かれてある。ラーメンもちゃっかりとその中に。店内に置かれてあるテレビは巨人戦を映す。今どき珍しいと思う。ただし。そのテレビはブラウン管のそれではなくて,デジタルで薄型。結構画面がワイドだ。そんなところはだけは,中途半端に郷愁を感じさせない。変な気持ちになる。
阿部は,空いている席をキョロキョロと探す。
「……,あった。おい,井本」
「えっ,あっ,はい!」
「動揺すんなっ,ハハ!」
阿部は,そのような感じの井本に可愛げがあると思う。つい笑ってしまうのも無理はなかろう。阿部は続ける。
「巨人戦を観ながら,ガッツリと肉を食らおうじゃないか。ここに座るぞ」
椅子があるテーブル席である。中央にはもちろんの事,大きいコンロ。阿部は井本と向かい合わせに座る。メニュー表を広げてみる。大きいカツ丼の写真がいきなり目に映ってきた。どうやら最近出されたものらしい。南西の地方で育てられた黒毛豚の肉をふんだんに使っている様だ。脂が適度にのっていて柔らかい肉質であるという内容の文言が添えられている。美味そうじゃないか。けれども,それはあえてスルー。
「……,豚カルビ定食でも頼もうかな。井本は何を頼むんだ?」
井本はおどおどしながこう。
「ぼく……,肉が苦手で……,申し訳ありません。何を頼めばいいか……」
ペコペコと頭を下げているではないか。なんとも気の毒に思えてしまう。これでは仕方ない。阿部は少々考え込んで。
「……,う〜ん,じゃあ。井本! 肉に慣れてみろ。俺と同じものを食ってみるんだ。大丈夫! 全部俺がおごってやる。お前の細い体を肉でぶっとくしてパワー付けるんだ。それで虐めている奴らを見返してやれ!」
Re: ファイターの小説・第二部
名前:
ファイター・ドクトリン
日時: 2018/07/12 20:06
No. 58
それから阿部はふくよかなおばちゃん店員を呼び,手短にメニューを注文。ついでに,ビールを中ジョッキ一本。
おばちゃんが下がった後,阿部は井本の方に向き直る。今に始まったことではないが,井本の顔はいつもおどおどしていると思う。投手としては,致命的な性格である。けれども。彼はれっきとした巨人軍の仲間の一人である。入団したからには,将来を期待されているということなのだ。そして。井本は今,少なくとも対人関係でとても苦しんでいる。捕手として,そして,大先輩である者としては,話を聞くのは是が非でも必要であると思う。ただ,重苦しい雰囲気にならないように,気さくに,気さくに話しかけよう。
「なぁ,井本」
「はっ,はい……」
「冷や汗流してビビるな,ハハ!」
「……,ごめんなさい……」
「しょげる必要もないぞ。ところで……」
「何でしょうか?」
「だから,おどおどする必要はない。なぁ,井本。お前,何か困っていることがあるはずだ」
井本はビクッとした顔つきになる。
「なっ,ななな,何もありは……」
阿部は真剣に。間髪入れずに。
「そのどもった話し方は図星だということだぞ。勿論,顔にもそれが表れている」
「はい……」
阿部は一呼吸おいて。
「なぁ,井本。お前には何も罪はないと思う。だから……,ありったけの話を俺にぶつけてみろ!」
「ぶつける……?」
「そうだ。だが,心配はいらない。今のお前ではどうにもならないならば,俺が何とかしてやる。ただし!」
「はい……!」
少し表情を和らげようと思う。
「……,最後はお前次第だ。俺はただ,お前の背中を押してやりたいだけなんだよ。何故だか分かるか……。同じ巨人軍の仲間じゃないか……!」
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